< home2003年目次 > 1_バンコク中央駅 > 2_タイ天国と地獄 > 3_混沌のアジアビーチ > 4_カメ島へ行く > 5_パンガンに挑む > 6_夢の終わり > 7_ハードコンタイ > 8_赤土の大地へ > 9_恋するチェンマイ > 10_山の子 > 11_故郷(ふるさと) > 12_花見タイランド > 13_旅のトラブル > 14_時代 > 15_旅というレース >

赤土の大地へ


 今回の旅程は約二ヶ月、前半はビーチのはしご、後半は東北部をまわって、最後にチェンマイで友人知人に会って日本に帰る。というのが、おおまかな予定である。そんなわけで、ビーチから戻った我々は、東北へ向かう汽車に乗った。
 東北部にはこれといった見所がない。そのため東北は何となく後回しにしていた。いくら地図を逆読みするようなひねくれ者でも、まったく見所がない、というのはどうしたものだか・・である。もちろん、まったくないということもないが、北部や南部に比べると著しく少ないし、規模も小さい。せめてチェンマイぐらいの町があれば、チェンマイを目指しながら地図を逆読みして裏口からチェンマイを目指すのだが・・。
 そんなこんなで、初めてタイを訪問してから(たぶん)七年が過ぎて、初めて東北の地に立った。コースは、ナコンラチャシマー、コンケーン、ウドン、と、地図を裏読みするようなひねくれ者の割にはいたって正攻法である。
 初めての土地には正攻法で行くのがよろし。
 これが私の持論である。主だった見所や要所の町をまわって、地域や町の雰囲気がわかってきたら、わき道にそれる、というのがいい。しかしそれだって第二位から足を伸ばしてしまうことが多いのだけど・・。
 タイ屈指のアユタヤの遺跡群を訪問したのはつい最近だ、確か二年前だった。というのも、遺跡を見るならまずは第二位のスコータイであると、アユタヤの次のスコータイからまわってしまったのである。またバンコクから手近に行ける観光地でも第一位のアユタヤを避けて、第二位のカンチャナブリからスタートした。ビーチもサムイからスタートした、正確にはパンガンからスタートしたのだけど、パンガンは前述の通りにばか祭りにかぶってしまったので、結果としてサムイがスタート地点になった。そして、いまだ第一位のプーケットには訪問していない。
 さて。タイの自然はバンコクを境にがらりと様子を変える。バンコク以南と以北で、明らかに緑の色が異なる。南の方が明らかに緑の色が濃い。樹木の背丈も大きい。そこには、多くの日本人がイメージする通りの「ジャングル」が広がっている。
 それに比べると、北の緑は色が淡く、背丈も低く、この季節は枯れ草色の草木も目立つ。日本人のイメージするジャングルっていうのとは、ちょっと違う。ヤッシーだのバナァナァだのの、南国植物らしさ満開の草木も南に比べると明らかに少ないし、何て言ったらいいのかな、「育ち過ぎちゃった雑木林」って感じかな。
 そのせいだろう、南の田園風景は生き生きと力強く見えて、北の田園風景はのびのびと牧歌的に見える。
 でも。それにしても。
 日本でも、青森と鹿児島の気候風土はだいぶんと異なるものだが。でも何もこうもくっきりバンコクを境目に、誰の目にもはっきりと分かるように、気候風土がくっきりと変わらなくともいいものを・・。
 ちゃんと調べれば、バンコクの存在する緯度とか経度とか、バンコク以南と以北の水質やら地質の違いとか、何か科学的な根拠があるのだろうな。
 途中幾度かうとうとと浅い眠りについたりしながら、2月25日の午後三時半ごろ、汽車は最初の目的地、ナコンラチャシマーに到着。同じ車両からはうちらと西洋人の夫婦者が降りた。
 宿を探して歩くのもおっくうなので、タクシーに宿を決めてもらった。おそらくこの宿、タクシーが斡旋してくれる宿の定番なのだろう。うちらが宿に着いたその直後に、さっき同じ汽車でナコンラチャシマーに着いた西洋人の夫婦者を乗せたタクシーがやって来た。
 ちなみに宿はチュンポン門のすぐ近くで、シングルが240、ダブルは290、この規模の町にしては安くない。
 部屋を見せてもらうと、あのなつかしい旅社然とした旅社だった。室内は広く清潔、しかしぼろい。しかし、「テレビ」と「湯シャワー」がある。これが安くない理由らしい。
 初めて降り立つ東北の町並みは、話に聞いてイメージしていたよりもずっとずっと大きくて立派なものだった。これはナコンラチャシマーを離れ、コンケーン、ウドンに移っても変わらず、いずれの町も想像していたよりもずっと立派な町であった。
 タイでは東北地方というと、貧乏の代名詞のように言われることが多い。東北地方は農村部であるのにもかかわらず、土が痩せている、水を蓄えない、と言うのだ。ゆえに東北の農家は押しなべて貧しく、農業だけでは食えない者たちが続々バンコクに出てきているという。ホアヒンの浜の土産売りもそう自己紹介していたっけ。
 しかし市街地を見る限りでは、北部の田舎町なんかよりもずっと立派である。道路も広く、歩道が完備されてる通りも多く、何につけても信号が多くて歩きやすい。またこれは東北の土地柄なのか、ドライバーが信号を守る。そんなとこ止まっているだけ無駄だぞ。思わずそう言いたくなるような小さな交差点でも、ドライバーは赤信号に従う。日本では当然の交通マナーかも知れないが、タイではこれは当然とは言えない。信号が真っ赤でも次から次に交差点に車が飛び込んでくる。それが東北のドライバーは赤信号で止まるのだ。車の速度も全体に遅くて、非常に快適である。バンコクやチェンマイのあの道路がうそのようだ。
 本当にここがタイで一番貧しいと言われている、あの東北なのだろうか。
 しかし、市街地を離れてしまうと、そこはもう乾いた大地である。長距離バスの車窓から、郊外の町に遊びに行く折に乗ったポンコツバスの車窓から、水を蓄えないと悪評高い赤土の大地を見ることができる。
 しかし私は土の専門家ではないので、それを見て真っ赤な土だとは思うが、その土が痩せているかどうかの判断まではできない。だいたいタイの土はみんな赤い。土質が良いと言われている北部の農村部だって地べたは真っ赤だ。乾いた大地、と言われたところで、乾季なんだから当然という気もする。
 それでも車窓に広がる赤い大地を眺めていたら、ほどなく休んでいる畑が存外と多いことに気がついた。そんな休耕田、というのだろうか、お暇(おいとま)をいただいた畑には雑草もロクに生えず、からからに乾いてひび割れている。日本の畑を休ませておいたら、たぶんあっという間に草ぼーぼーランドになってしまうだろう。
 しかしやはりそれがいかに貧しいのか、ぴんとは来ない。
 東北での滞在は非常にのんびりとしたものであった。何せこれと言った見所がないのだから、のんびりするしかない。町外れの公園のお池に浮かぶスワン号を借りてしゃかしゃかこいじゃったり、町の中心にあるというデパートまで映画を見に行っちゃったり、そんなことをして東北での日々は過ぎて行った。
 映画は二本見た。両方ともタイ映画で、初めに見た作品は洋題を「I'm lady」という、タイ題は聞いたがもう忘れた。というのもこの映画、特にこだわりの映画ではなかったので、思い入れがないのである。こだわりではなかったどころか、間違えて見てしまったのである。
 実はタイに着いてからというもの、テレビをつけると「サトリーレック2」のコマーシャルがばんばんに入っていて、私たちは「サトリーレック2」の公開を今か今かと待っていたのである。ちなみにこの作品、第一部は「アタックナンバーハーフ」という邦題で日本にも上陸しており、一部のタイマニアの間ではそこそこ評判にもなった。
 物語は、オカマのバレーボールチームが男子バレーボールチームとして全国大会にエントリーして大活躍をするという、ばかばかしいけど「ホントの話」をベースにつくられている。これが実話とは、さすがオカマ帝国タイランドである。なお、タイトルに使われている「サトリーレック」は、バレーチームの名前で、日本語訳は「鋼鉄の淑女」とされている。
 この「サトリーレック」の続編がタイで公開されるというのだ。一部がそこそこ面白かったこともあり、私たちは機会があったら見ようと話した。だいたい、第二部というのは相当なヒット作でないと輸入されないことが多い。一部のタイマニアの間でちょっと話題になった程度の作品の続編が日本に上陸するかどうか、かなりあやしいものである。今を逃したら一生見れないかもしれない。
 そう思って、我々は映画館に赴いた。3月4日、コンケーンでのことだった。しかし、「サトリーレック」に便乗したようなポスターに、語学力の問題もあって、思い切りだまされた。それは「I'm Lady」というまったく別の作品であった。
 しかし、それはそれで楽しんできた。ちなみにこの作品、「サトリーレック」に便乗したようなポスターを出すだけあって、オカマ映画である。そんなジャンル、あるのかどうか知らないが、何につけてもここはオカマ帝国だ、オカマ映画というジャンルがあったとしても不思議じゃない。こちらはバレーチームではなく、チアリーダーチームの話で、コメディとラブロマンスを組み合わせた、やはり「サトリーレック」に便乗したような軽快な作品である。全体に「サトリーレック」よりも下品で、映像で笑わせるシーンが多く、タイ語がまったくわからなくてもそこそこに楽しめる。
 オカマチームはチェンマイ出身のチームで、身内の会話はチェンマイ語で構成されているのだろう。身内(チェンマイ語)の会話のシーンに入ると、タイ語の補助字幕がつく。チェンマイ語はチェンマイ「弁」という次元のものではないらしい。よっぽど標準タイ語とは掛け離れているのだろう。琉球語ぐらいぶっ飛んじゃうんだろうか。そういや日本映画でも琉球語のシーンには字幕を入れる。
 観客は主に十代の女の子。どうやら主演の男女(オカマ役ではない、若い美男美女)は売れっ子のアイドルらしく、みんなこの二人を見に集まって来ているようだった。館内は全盛期の頃のジャニーズ映画のノリだ。主演はマッチと聖子ちゃん、という感じ。
 物語中で、二人に淡い恋心が芽生えるが、熱烈なラブシーンはなし。手と手をとって浜辺で踊る。それが最大のラブシーンである。しかし、十代女子は大騒ぎ。きゃあきゃあと、わめいている。まさに二十年前のジャニーズ映画だ。
 また、下品なラブシーン(?)はすべてオカマちゃんがやるのだが、これも大騒ぎだ。男子シャワー室で、男の子のお尻を見てオカマちゃんが大騒ぎをするシーンだとか、ラグビーの試合に参加したオカマちゃんたちが敵チームの男の子たちに抱き着いたりキスしたり、キンタマをつかんだりするシーンなんか、もう場内割れんばかりの爆笑だ。
 そして、ラストの大会の「決め」のシーンでは、ホントにチアリーダーの全国大会を見に来ているかのような拍手喝采。ひらひらのアラビアンナイト風の衣装をまとったオカマちゃんたちに向けて、可愛い!すてき!の、歓声があがる。
 すごい世界である。
 しかし、これだけ泣いてわめいて、涙を流してばか笑いをして、映画を見ておいて、エンディングは誰も見ない。うわさには聞いていたが、本当に全員が、本編が終わると同時にぞろぞろと席を立ってしまった。映画館側もエンディングなんてものを見る人はいない、と、決めつけているかのように、本編が終わると同時に上映室の明かりをこうこうと灯して、はいはい、映画は終わりだよ、帰った帰った、という、感じであった。
 またしても、タイ人摩訶不思議である。
 ちなみにタイでは映画の上映前に「国王賛歌」だか「王室賛歌」だか、ともあれタイ国歌ではない王室がらみの賛歌を流す。この間は朝夕の国歌と同じで、国民は全員起立静止しなければならない。・・ということになっているのだが、やはり多くの国民はそんなものあほらしいと思っているのだろう。起立はしたものの、静止する様子は皆無で、ポップコーンをばりばり食っていたり、無駄話をしていたりする。そして賛歌が終わる十秒前には全員が着席。また、賛歌をはしょりたいのだろう。賛歌が終わるころあいを見計らったようなタイミングで、何人もの観客がばたばたと館内に滑り込んできた。なお、タイの映画館は基本的に指定席なので、ぎりぎりに飛び込んできても立ち見になる、という可能性はあまりない。
 というのが、タイでの映画初体験であった。
 そして3月7日、ウドン滞在中に「サトリーレック2」が封切られた。何も公開初日に見なくてもいいのだが、前回のああ勘違い事件があったので、今度はきっちり公開スケジュールを調べて、戦闘準備万全で映画館へ向かった。しかし万全だったはずの戦闘体勢はまたも手落ちで、今度は座席がないという。いくら公開初日とはいえ立ち見の出る映画なんて日本にはないに等しいので、ここにはさすがに考えが及ばなかった、不覚である。
 映画館は予想以上の混雑ぶりで、立ち見でもかまわないから映画を見せろ、という観客で埋め尽くされていた。ちなみにこちらは「I'm Lady」に比べると若干シリアスなので、観客の裾野も若干広がって、十代の子供たちからけっこういい年の大人まで、いろいろであった。
 コンケーンでは国王賛歌が終わると出し抜けに本編が始まったのだけど、ウドンでは本編の上映前にコマーシャル(予告編)が入った。
 って、エンディングさえ見ないような連中がコマーシャルなんか見るんだろうか。
 しかしこれが予想外の反応で、場内はコマーシャルから大爆笑である。いったいがっさい、この国の人の感情の流れはどうなっているんだろう。
 「サトリーレック2」は、ジュン(主役のオカマちゃん)がみんな(チームメイト)と出会うまでの物語(ジュンの青春時代の回想)がメインで、坊主頭でちゃりんこをこいでいる中学生のジュンから始まって、出家するジュンまで。オカマの出家はよほどおかしいのだろう、坊さん姿のジュンに場内は割れんばかりの爆笑だ。そして、高校、大学、次々と仲間たちに出会っていく。
 今回はピア(チームメイト)をたずねて、ジュンとチャイ(キャプテン)が中国へ行くというエピソードが含まれていて、個人的にはこれが一番興味深かった。何せタイ人の思う中国は、まさに混沌のアジアなのだから・・。
 バスに乗ればえらい混雑ぶりで、ようやく乗り込めばバスがトラブルを起こして炎上する。結局、通りすがりのバイクに乗せてもらって、ピアの勤める劇場がある、という町へ向かうのだが、これまた道なき道をひた走り、野を越え山越え谷越えて、へとへとになって到着。
 宿はえらく汚らしいし、町はひどく猥雑だしで、タイ人は中国を混沌のアジアだと思っているんだなあ、というのがかいま見れた。
 しかし!!!
 タイ人がつくる中国の映像と、日本人がつくるタイの映像の、どこがどう違うんだ!?私の目にはタイの町も中国の町も同じに見えるぞ!?ていうか、この映像、見たことがあるぞ、「卒業旅行」で!!!
 映画「卒業旅行」のタイと、タイ人が描く中国はそっくりだ!!!
 しかし、タイ人の観客は混沌の中国に大爆笑である。すし詰めのバスを見ては大爆笑、悪路をバイクで三人乗りで大爆笑。
 うぅむ・・。この映像と、今この映画館のある建物の前で展開されている現実の、どこがどう違うというのだろう。そんな「ありふれた現実」のどこがどう、そんなに面白いと言うのだろう。私の目にはどちらも映画「卒業旅行」だ。
 そうそう、ジュンとチャイは、中国の「タラー」とかいう町に行きたかったらしいのだけど、「タラー」の発音がおかしいらしく、バスの運転手に通じない。
 タラー!
 タッラー!!
 タァ〜ラァ〜〜〜ッッッ!!!
 ジュンがむきになって叫ぶシーンは気持ち察するにあまりあり、といった感じで、思わず吹き出してしまった。もちろん場内も大爆笑。
 プラトゥナムが通じなくてタクシーで悪戦苦闘したあの日、チャアムに行きたいといったら変な顔をされたあの日。今でもユートォーイークヌンワンも通じないことが多いし、サイトゥンダイマイも、通じないことが多い。自分じゃそう言っているつもりなのだが・・。
 そして、やはりエンディングは誰も見ない。本編が終わると同時に全員あっと言う間に撤退。
 この国の人の感情の流れは、一体どうなってんだろう?余韻を楽しむとか、そういう感情の流れを持っていないのだろうか。だいたい、エンディングにも物語が含まれていたりするじゃないか。そういうの見損ねたら悔しいとか損したとか、思わないんだろうか。まったくさっぱり、タイ人摩訶不思議である。
 話が少し前後するが、久しぶりに正攻法の旅を選んだそのついでに、久しぶりに正攻法の宿にも泊まってみた。正攻法の宿、というのは、ガイドブックに「良心的な宿」として紹介されている宿のことである。ちなみにコンケーンでのことである。
 ここの宿については、オーナーは英語が達者、とか、スタッフは愛そうがいい、とか、古い木造で雰囲気のいい建物、とか、いいことばかりが書いてある。
 こういう、いいことばかりが書かれている宿っていうのを私は避ける傾向にある。というのは、こういう感じのいい宿には、決まって感じの悪い客が長居しているからだ。あたたかくておいしいものがあるところは、ゴキブリの温床になりがちだ。
 しかし、なるほど、外観からして渋い木造建築で格好がいい。従業員の接客態度も明るく丁寧で、悪くない。室内も高級感はないが、タイらしさ満点の庶民派構造で、アジアンテイストばっちり。
 たまにはこんな宿も悪くない。
 チェックインしているとき、一人の西洋人がやって来て、日本人か、と、聞かれた。そうだよ、と、言うと、また日本人か!ここは日本人が多いなあ!と、びっくりしながら去って行った。
 それほどここに来る日本人は多いのか。さすが、ガイドブックに載っている(それも、いいことばかり書かれている)だけのことはある。
 それに引き換え、町は外国人なんかおかまいなしである。コーヒーを頼めば、最初から砂糖とミルクがどばっと入っていて、茶碗にスプーンがささっている、もちろん英語メニューなんかない。
 ナコンラチャシマーにしろ、コンケーンにしろ、東北の町は外国人に媚びない町である。南部のリゾート地やチェンマイとはまったく異質だ。さすが、見所のない町である。それゆえにタイらしくも見え、またタイらしくないとも思う。


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