< home2003年目次 > 1_バンコク中央駅 > 2_タイ天国と地獄 > 3_混沌のアジアビーチ > 4_カメ島へ行く > 5_パンガンに挑む > 6_夢の終わり > 7_ハードコンタイ > 8_赤土の大地へ > 9_恋するチェンマイ > 10_山の子 > 11_故郷(ふるさと) > 12_花見タイランド > 13_旅のトラブル > 14_時代 > 15_旅というレース >

恋するチェンマイ


 さて、再三のように名前が出てきたチェンマイのUだが、彼とは去年の今頃、チェンマイで知り合った。Uの仕事は前述したように観光タクシーで、仕事上有利であるからと学び始めた日本語をきっかけに日本にはまっていった親日君である。
 不思議なもので、言葉を学ぶと、その言葉を使う国にも興味を持つようになる。多くの日本人が一度はアメリカやイギリスにあこがれたことがあるだろう。それというのも、多くの日本人には英語を学ぶ機会があるからである、と、私は思う。
 タイは観光国家なので、外語を学ぶ人が多い。英語、ドイツ語、フランス語、日本語、ハングル。どの言語を学んでも実生活で直接役立てることができる。特に有利なのはやはり英語で、ついで日本語、中国語、ハングルだろう。というのは、欧米の人はナニジンであれ、たいがいは英語がわかるので、英語さえわかればドイツ人が来てもイタリア人が来ても、さして問題がないのである。個人的に親しくなりたい人がいるのなら、彼らの母国語がわかったほうが有利だが、仕事上で使う分には英語で事足りる。
 それに引き換え旧日本領の国民は押しなべて英語が苦手だ。これは旧日本時代の影響じゃないかと思うほど、ものの見事に苦手なのである。台湾人の英語音痴も有名な話で、西欧からの旅行者はひどく苦労するという。また、ワールドカップの折、日本を訪問した西洋人にインタビューをとるという番組がたくさん放送されたが、過半数の人が韓国にもサッカー観戦に行ってきたと言い、韓国はどうでしたか、と聞くと、日本よりも英語が通じずに苦労した、と答えていた。国際英語能力検定みたいなのでは韓国人は日本人よりも英語が得意だということになっているが、国際検定は「大学生」についての話である。一般レベルでは日本人以下・・というのが、西洋人旅行者の生身の見解のようだ。そして我らが日本。自慢じゃないが国民の英語力は惨憺たるものである。何せ、現役大学生がバスターミナルでバスを指さして、ディス・イズ・バス、エアコン!と言うような国民が暮らしている国なのである。
 ディスイズバス(これはバスである)って、そんなもん見ればわかる、だから何だ?んでその文末のエアコンって、意味不明だぞ。
 多分彼は、これはエアコンバスですか(イズ・ディス・エアコンディション・バス?)、と言いたかったのだろう。しかしそれがわかるのは同胞同士だからであり、残念ながら異邦は理解してくれない。バスターミナルの係員は困ったように首をかしげていた。
 さらには食堂で。現役医大生が、ここの人は英語が苦手みたいです、「コップ」が通じませんでした、と言い出す始末である。陶器の茶碗は「カップ」、ガラス製の茶碗は「グラス」である。コップと言う言葉自体が存在しない、エアコン再びである。
 そこで、日本語やハングルを学ぶタイ人が続出する。そりゃそうだ、たとえば外人さんだからと、英語ガイド付きのツアーもありますよ、と、すすめたって、英語はわからん、で、断られてしまったら、商売にならない。
 また、タイには多くの外資系企業が進出している。そこではやはりその企業の国の言葉がわかれば有利である。といっても、日本マクドナルドで英語がわかる人が優遇されている、という話は聞いたことがないが、タイの伊勢丹では日本語のわかる従業員とわからない従業員では、給料に倍ほどの開きが出ると聞いたことがある。こうなると、背に腹は変えられない。ここはタイなんだからタイ語がわかれば生きていける、などとは言っていられない。
 これは日本でも同じだが、一生下働きでかまわないと言うのなら別だが、出世したいと思うのなら、やはりスキルをあげていかないとならない。そのとき、日本では趣味、教養の範囲でしかとらえてもらえないことの多い外語が、タイではスキルとして認められるのである。
 とはいえ、タイ人の外語はかなりへなちょこなのだが・・。何につけてもスアンサヤームな国民なのだ。理想に現実が追いつかない自信過剰な国民が6000万もひしめいているのだ。私は日本語がわかります、と言うから、そのつもりでいたら、私のタイ語能力とどっこいだったりということがよくある。しかしそれでも、理想だけはあるのがタイ人なので、理想のために語学を学ぶタイ人は多い。また、現実問題それがスキルとして認められて、その能力を現金にかえることができるのならと、外語を学ぶタイ人は多い。また、これだけ外語が身近になると、別段実生活には外語は不要だという人でも、趣味や教養の範囲でひとつぐらいやってみようかな、と、思うようにもなるだろう。
 ある晩、観光業なんかにはとんと縁遠そうな町外れの床屋と呑む機会があった。というのは先のUの関係である。Uがビールを飲みに行きましょう、と言うので、Uの馴染みの店だという食堂なんだか飲み屋なんだかよくわからない店に赴いた。呑んでいると、Uの顔なじみ(飲み友達)だという常連客が次から次にやって来る。その中に、床屋もいた。
 床屋は日本語を勉強していると言い、会話はほとんど壊滅だったが、仮名文字の読み書きをする。文字がわかるんだ、すごいね、Uは話すのは上手だけど、文字はわからないよ、と言うと、床屋は、でも俺には日本人と話す機会がないから全然話せない、本を読んで勉強するだけだ、と言った。彼の今現在の生活に「日本人」「日本社会」との接点はないらしい。それでも彼は日本語を学びたいと思っているらしい。
 また、ソンテウの車中、乗り合わせた女子学生たちの会話が聞こえる。
 ねえあんた、日本語を勉強してるんでしょう?あの日本人が何を言っているのか教えてよ。
 ダメよ、全然聞き取れない、話すのが早すぎる!
 彼女たちの生活にもおそらく「日本人」「日本社会」との接点はないだろう。
 また、町外れの小さな公園で、やはり観光業には縁遠そうな人に、日本語を勉強している、と言われたりもする。
 そして、きっかけは、単なる趣味だったにせよ、金のためだったにせよ、言葉を学ぶ中で、いずれ学んだ言葉をしゃべる国の人に会ってみたい、その国に行ってみたい、その国の流行りの音楽を聴いてみたい、と、思うようになっていくのだろう。
 Uに初めて会った頃、Uは日本語を勉強し始めたばかりで、日本については「女の子が可愛い」という以外の認識を持っていなかった。折りしもときは西暦2002年、ワールドカップの年である。ゆえに、ワールドカップ、イイネー、ミタイネー、とは言っていたが、それは日本に対する興味というのとは違う。何につけてもタイ人はサッカーが大好きだ。日本の国民的スポーツが相撲と野球なら、タイの国民的スポーツはムエタイとサッカーである。だからUも一般的タイ人として、ワールドカップを見てみたい、どうせなら開催地の日本か韓国で、と思っていたのだろう。
 それがあれから一年、Uはすでにワールドカップなんか終わってしまった日本にまだ行きたいという。
 いつか日本に行きたい、いろんな町を見てみたい、東京、横浜、名古屋、大阪。
 地理を把握していないので、横浜から突然名古屋に飛んでしまうのだが、Uが行きたい町は主にこの四都市である。この四都市にはおそらくUの会いたい人物がいるのであろう。以前にも日本に行きたいとは言っていたが、具体的な地名までは出てこなかった。単純に、ワールドカップが見たい、チケットが取れなくても、会場前のサポーター(チケットが取れなかったファンたち)と一緒にテレビを見てその雰囲気を味わえれば満足だ、と、ワールドカップに興味を示すだけであった。
 また最近は日本の歌にも興味があるという。前述した「酒よ」はチップ獲得のために知りたいだけらしいのだが、Uは他にも個人的に好きだという「ロード」の歌詞を知りたがった。少なくともUに初めて会った一年前、Uは日本の歌を知りたいとは言っていなかった。
 でも一番行きたいのは、横浜でしょ?
 はい、横浜、行きたいです!横浜、遠いですか?
 どこから?東京から?
 はい、東京です。横浜、東京は、遠いですか?
 近いよ、電車で30分ぐらい。
 近いですねー。電車はいくらですか?
 さあ・・?たぶん100バーツぐらいじゃない?
 安いですねー。行きたいです!
 Uが横浜にこだわる理由はただひとつ、「女」である。横浜にはUが惚れたMちゃんという女の子が住んでいる。
 去年の今頃、私がUと知り合ったばかりの頃、UとMちゃんはつき合っていた。とはいえ、Mちゃんは一介の旅行者なので、いつまでもタイにいられるわけじゃない。Mちゃんの滞在期間はわずか一ヶ月。
 一ヶ月。
 旅をするには充分な時間かも知れないが、恋をするにはあまりに短い。まだ日本語を勉強し始めたばかりのUは思うことをMちゃんに伝えることもままならず、初めてタイに来たというMちゃんもロクにタイ語がわからない。Uは多少の英会話もこなすが、英語がわかったところで日本人であるMちゃんにはたいした利益はない。何せ、ディスイズバスな国民なのである。
 ただでさえ短い一ヶ月というときを、言葉の壁に阻まれながら、二人は互いの思うことを等身大に伝えることもままならないままにすごした。そして別れのとき、Uは遠くない日にMちゃんに会いに日本に行くよと約束をした。
 しかし、Mちゃんが帰国した直後、「社長」があらわれて、二人の恋路は思わぬ方向に展開していくことになる。
 社長というのは、Uが勤める(加盟している?)タクシー会社の社長のことらしい。社長は日本人で、それがUが日本語を学んでみようと思うきっかけになったようだ。社長は運転手連中に会うたびに、ススキノはいいぞ、カブキチョーも面白い、などと話し、さらには日本語も多少教えてくれたようだ。しかしこの日本語のセンスがすばらしい、すばらしすぎる。
 いらっしゃいマホー!
 ・・・・・。
 さすがタクシー会社の社長だけのことはある。
 この社長に、恋人ができました、Mという日本人です、とてもいい子だから社長も是非Mと話してみてくださいと、国際電話の受話器を渡したのがことの始まりであった。
 受話器を受け取った社長は、こともあろうか、悪いことは言わないからUのことはあきらめろ、Uには女房も子供もいる、だいたいこの町にはあんたみたいな尻軽女なんか掃いて捨てるほどいるんだ、Uは女なんかにゃ不自由してない、だから悪いことは言わない、あいつのことはあきらめろ、とのたまったのである。
 もちろん、そのときはまさか社長がそんなことを言っていたとはUは知らない。ネィティブの日本語というのは聞き取りがとっても難しい。ちょっとやそっと勉強したところで、さっぱりだ。それが後日Mちゃんの様子がおかしくなり、Mちゃんに何があったのかと聞いて、初めてことの顛末を知ることになる。
 ちなみにUは未婚である。過去のことは知らないが、現状は独身だ。恋愛性格は一途を極める純愛ばか。・・というのは、後日知ることになる。この時点ではそんな細かい性格までは把握していなかったし、だいたいUは初対面のときに、自分には日本人の恋人が三人だか五人いるのだと言ったのだから、私も少なからずUを「そういう人」だと思っていた。しかしそれはUの日本語能力の問題から発生した誤解であり、Uは「現在重複して交際している日本人女性が三人(五人)いる」と言ったのではなく、「今までに交際したことのある日本人女性が三人(五人)いる」と言っていたのである、と、だいぶんあとになってから知る。
 外国人との交際は誤解の連続である。誤解するためにつき合っていると言っても過言ではないほどに、互いに誤解が多い。もちろん、同胞同士だって誤解はあるが、異邦とのつき合いでは誤解発生件数が飛躍的に伸びる。
 一番の原因はやはり「言葉」だ。恋人が「三人いる」のと「三人いた」のじゃ全然意味が違ってしまう。それから文化習慣の違いに起因するもの。遠慮したつもりが他人行儀にとられてしまったり、友好的にしたつもりが無礼にとられてしまったり。互いにひとつの悪意も持っていなくても、今日もそこここで誤解が発生している。
 なぜ?なぜ社長、ウソ言いますか?なぜ?なぜM、社長しんじますか?
 Uはことの顛末を知り、ひどく落胆していた。
 社長という人物はヤクザものである。だいたい、はるばる異国まで行ってタクシー会社を経営しようだなんて、かたぎの人間が思いつくようなことじゃない。そんなヤクザものの思考というのは、短絡的で独善的で排他的である。彼らは身内をこよなく愛し、身内のためであれば手前の命もいとわないようなところがある、反面他人には冷たく、他人の命なんかゴミ同然と思っていたりする。
 たとえば金に困っていると彼らに言う。彼らがもし身内なら、きっとどうにかしてくれるだろう。その辺の偽善的小市民のように、聞いて損した、言うんじゃなかった、と思うようなへなちょこアドバイスをよこしたりはしないだろう。法を犯してでも金を工面してきてくれるのに違いない。それが彼らの優しさであり、また怖さでもある。
 たぶん社長はUを身内だと思っているのだろう、Uのことを愛しているのに違いない。だからこんな国際恋愛、やめておけ、苦労するだけだ、女なんかいくらでもいるじゃないか、と、そう言いたかったのだろう。しかしそれをUに言ったところで、Uは純愛ばかなので、わかりゃしない。Mだけは違う、彼女はいい子だ、と、言い張るのに違いない。じゃあ女にUのことをあきらめてもらえば話が早い、と、まあ、そう思ったのだろう。社長にとってMちゃんは「赤の他人」だ、彼女の恋心など社長にとっては遠い異国の戦争みたいなものである、何万の命が失われようと、痛くも痒くもない。
 その辺はUもわかっているようだった。社長事件後、ひどく落胆していたUだが、ほどなく社長については誤解が解けたようだった。社長はMに会ったことがないから、Mのことを誤解しているんだ、社長はMのことをHのような遊び人だと思っているんだ、だから社長は僕のためにあんなウソをついて、Mを僕から遠ざけようとしたんだ、社長はとてもいい人だからね、と、そんなようなことをつたない日本語で言った。
 これを聞いて、私は他人事ながら涙が出そうであった。
 確かにこれが他人事なら、その通りである。たぶん社長に悪意はない。彼なりの善意にもとづいて、Uの幸せを思っての行動なのに違いない。
 しかしUの場合は他人事じゃないのだ。自分の恋路をひっかきまわされたのだ、いくら社長の行動が善意にもとづくものであるとしたって、現にMちゃんはおかんむりで、電話をしても出てくれないし、メールをしてもなしのつぶてで、しつこくメールをすると、あんたみたいな最低男のことなんか知ったこっちゃないわ、もうアタシのことはかまわないでちょうだい、と、怒りと哀しみに満ち溢れたメールが返ってくるという始末である。
 この状況においてまで、社長はいい人だと言えるUこそが「いい人」だと、私は思った。たぶん社長もそんなUをとても気に入っているのだろう。だから、こんなことになってしまったのだろう。
 ところで、Hって誰?「Hのような遊び人」って、どういう意味?
 Hはむかしの恋人です。日本人です。
 は?
 Hは日本帰る、メール書く、ごめんなさい、私、ホントは恋人います。私はとても悲しい。Hはウソつき・・。
 はぁ???
 社長はMちゃんをHのような遊び人だと勘違いしている、っていうことは、きっとUはHちゃんのときにも同じことをやらかしたのだな・・。そりゃ社長も国際恋愛なんかもうやめろって言うわけだ、納得である。
 これをMに渡してください。
 帰国の間際、銀の指輪をUから預かったが、海の向こうの社長から、Uから、私たちから、Uはいい人だよ、信じてあげて、ばか言いなさんな、Uのことなんかあきらめろ、と左右正反対のことをがちゃがちゃ言われたMちゃんはひどく混乱していたのだろう。
 誰を信じたらいいのかわかりません。
 というメールを最後に連絡が途絶えた。帰国後、Mちゃんの住所だけは確認していたので郵送で指輪を送ったが、なしのつぶてであった。
 あれから一年、Mちゃんの中ではUはもう「過去の人」になっているのに違いない。だいたい日本人は、良く言うと「切り替えが早い」。というのも、日本は季節が移ろう国である。季節の変わり目には過ぎた季節を「思い出」「過去」として、タンスの奥にしまってしまう習性がある。タンスの奥にしまってしまうだけでなく、粗大ゴミとして廃棄してしまうこともままある。この気候風土が、悪く言うと「忘れっぽい日本人」をつくっているのだろう。
 しかし敵は季節の移ろわない国の国民である。いつ何時に訪問したって、暑いだけなのだ。強いて言うなら雨が降りやすいか降りづらいかといった程度の季節感しかない。
 東南アジア(単一気候)の国に暮らしていると、時の流れが止まってしまう。
 そう発言した日本人がいる。季節が変わらないから、過去の出来事が過去にならないと言うのである。
 たとえば真夏の昼下がり、正月休みにスキー旅行に行ったときのことを思い出す、しかし今は真夏なので、あの寒いスキー旅行は「過去」なのだなと実感する。それが東南アジアでは過去のことを思い出そうにも、いつも暑い記憶しかないものだから、それが過去として認識しづらく、はるか以前のことでも昨日のことのように錯覚してしまう、と言うのである。
 そんなわけで、季節の移ろわない国の男は一途である。
 Mは元気ですか。
 一年ぶりに会ったUの第一声はこれであった。
 指輪は送った、でも連絡はないよ。だからMちゃんが元気かどうかはわからない。たぶん元気。
 大丈夫、私はM、信じてる。私はM、会わない。だから、わからない。もし、私はM、会う、話す。Mはわかります。私は日本、行きます、Mに会います。横浜、早く行きたいです!
 ホントにこいつは、一途な純愛ばかなのである。いたいほどに心優しく、いたいほどに一途な、大ばかなのである。私はまたもあふれそうになる涙をこらえた。
 Uは今も一般タイ人には信じられない高額を毎晩のように稼ぎ出し、しかし庶民の生活を守りながら、その金をこつこつと貯めているのだろう、いつかMちゃんに会いに行く日のために・・。
 Uの間借りしているアパートの賃料は月3000バーツだと言う。若いタイ人にしてはちょっと贅沢だが、贅沢しすぎというほどでもない。たまに食事に行こうと誘われても、高価な店に行こうとは言わない。いつぞやは7バーツのソバを食わせる店に連れて行かれた。
 7バーツ・・。
 ラーメン一杯15-25がこの国の相場である。Uはその国で7バーツのソバを食っているのである。さしずめ吉牛だ。600円のラーメン代さえ惜しんで、250円の牛丼で間に合わせているのだ。
 それでも収入がないのならそれも当然だが、収入がありながら庶民の暮らしを守っていくというのは並大抵ではない。人は金があれば贅沢がしたいと思う生き物なのだから。収入が上がればもう少し広い部屋に引っ越したいと思うし、もう少しおしゃれもしたいと思うし、もう少し、もう少し・・と思うものである。
 Uはいつ会っても同じような格好をしている。だからこだわりのブランドやデザインでもあるのかと思っていたのだが、そんなことはないらしい。
 日本人お客さん、お土産イッパイ、ジーンズ、Tシャツ、イッパイです。だから私、服いらない、服買わない。
 どうも常連客の中に日本の土産として流行りの衣類を持ってきてくれる人物がいるらく、Uは彼らの「お土産」で衣類を間に合わせているらしかった。
 しかし、そこまでしてもし日本に行けたとしても、ハッピーエンドがUを待っているとは限らない。
 哀しいけれど、Mちゃんの気持ちもわかるのだ。先にも書いたように、彼はいい人だ、そんなことはない、いやいい人だよ、いやそんなことはない、と、遠い異国から、国際電話で、メールで、直接会うこともままならない人たちからがちゃがちゃ言われれば、たぶん多くの人は混乱するだろう。誰を信じたらいいのか、わからなくなってしまうのに違いない。そんな中で、彼との「距離」に気づくだろう。
 社長の言うことがウソでも本当でも、近所に住んでいるのなら直接確認しに行けばいいのだ。しかしMちゃんにはそれがままならない。いくら海外旅行が安くなったとはいえ、二人に誤解が生じたその夜に、いったいがっさい何なのよ!?と彼の元へ飛んでいけるほどは近くないのが現実なのである。その逆はさらにままならない、タイ人が日本に入国するのは並大抵ではない、何てったってビザが降りない。
 そしてもし今回の社長事件がどうにか片付いたとしても、この先また同じようなことが起こらないとは限らない、そのたびに大好きな彼のもとへ今すぐ飛んで行けない距離に泣くことになるのだろうか・・。
 おそらくMちゃんはその「距離」に気づいてしまったのだろう。
 また、Mちゃんは旅行者である、旅先での出来事と言うのは、過ぎてしまった季節に似ていて、過去として浄化しやすい性質を持っている。自宅に帰って日々の雑事に追われる中で、旅先での出来事が過去の出来事として浄化されていくことはよくあることであるし、実際に私もそういう部分がある。
 旅先にいる間はあれほど世話になった愛しい知人たちのこと、忘れているわけではないのだが、日本に戻って日々の雑事に追われ始めると、彼らが突然遠くに見えてくる。手紙一通書く手間などどうということではないのに、今日の生活に追われる日々を繰り返していると、その余裕を失ってしまう。明日のために一分でも早く寝たい、そう思う気持ちが先に立ってしまう。そんな暮らしの中で、わずか一通の手紙さえ書けずに季節は移ろい、次の旅立ちのときが訪れる。そのとき私は、こう言い訳をする。
 君たちに会うために今日まで働いてきたんだ、手紙を書く余裕すらない生活だったけど、その生活のおかげで君たちにまた会える。君たちのこと、忘れているわけじゃない。毎年こうして会いに行くんだから、いいじゃないか、許せ・・。
 だから私にはMちゃんの気持ちも理解できなくはないし、彼女を責める気にもなれないのだけど。けれどUの純情一途なばかっぷりを目の前に見てしまうと、せめて一言、無理なら無理だと彼に伝えてあげてくれないかな、と思う。ウソでもいいから、結婚しました、と、ただ一言、メールを送ってやってくれないかな、と思うのだ。
 しかし、あれから一年、純愛ばかは直らないにしても、Uも多少は学習したらしい。
 日本人若い女、みんなウソつき、信じるはできない。
 Uはビールのグラスを空けながらそうつぶやいた。


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