< home2003年目次 > 1_バンコク中央駅 > 2_タイ天国と地獄 > 3_混沌のアジアビーチ > 4_カメ島へ行く > 5_パンガンに挑む > 6_夢の終わり > 7_ハードコンタイ > 8_赤土の大地へ > 9_恋するチェンマイ > 10_山の子 > 11_故郷(ふるさと) > 12_花見タイランド > 13_旅のトラブル > 14_時代 > 15_旅というレース >

山の子


 さて、旅先での出来事と言うのは過去として浄化しやすい性質を持っていて、旅先ではあれほど愛しかった知人が祖国に帰るととたんに遠くに感じられてしまうこともよくあることなのだけど、それはあくまで旅人側の身勝手な感情の変化であって、旅人と知り合ったその土地に根ざして生きるものは、旅人を「日常の一部」であるととらえていることがままある。日々飯を食い、クソをし、泣き、笑う、当たり前の日常の断片に、旅人との出会いや旅人とともに過ごした時間を刻み込んでいるのだ。ゆえに、旅人が次の目的地に旅立ってしまったあとも、旅人が祖国に帰ってしまったあとも、旅人は彼にとって日常の一部であり、旅人が遠くに離れてしまったことをいまいち実感できずにいるのである。そのため、旅人が思っている以上に、旅人の帰りや、旅人からの手紙を待ち焦がれていることが、ままある。
 それでも日々右から左に流れていく旅人を身近に見ている観光業者であれば、いくら友人であれそのあたりも冷めたものなのだが、観光業とは縁遠い人の場合はそうもいかない。さらには日々の生活が単調で刺激の少ない人ほど、そういう傾向が強くなる。・・というのは世界共通で、日々の暮らしが単調で刺激や変化の少ない人ほど、過去に固執する傾向がある。新しい出来事が起きないから、気持ちが更新されないのだろう。過去が過去にならないのである。真夏から真冬まで、激しく季節の移ろう日本に暮らしている連中だってこれなんだから、季節の移ろわない国ではこの傾向がさらに強くなる、これもまた必然なのだろう。ゆえに、一年中暑いだけの東南アジアの人々と言うのは、季節が移ろう日本に生まれて、さらに場所まで移ろう旅人に就業してしまったものには信じられないほどに、過去を浄化できずにいることがままある。
 私は三回、手紙を書きました。
 J君に会いに行くと、J君は哀しそうな目をしてそう言った。実際、この一年間で我が家に届いた手紙は一通だけなのだが、J君は三通出したと言う。おそらく封書だったのだろう。封書で手紙以外のものが入っている場合は税関かどこかで消えてしまうことがままある。たとえば、国外持ち出し御禁制の記念紙幣や記念切手などが同封されている場合、また医薬品が同封されている場合も届かないことが多い。何しろこの国ではペニシリンが市販されているので、こちらとしては「市販の鎮痛剤」と思って送った薬品に日本では処方箋がないと入手できないような成分が含まれている場合がある。たぶんJ君は自分では気づかずに変なものを同封していたのだろう。だってこいつ、去年別れるとき、日本では南国フルーツは高価だよ、と言ったら、じゃあ今度、パイナップルとかマンゴーとかドリアンとか、送ります、と言ったのだ。生鮮食品なんか郵便で送ったって届くはずがない。
 と、そのようなことは問題ではない。J君は、この一年、私たちから届く手紙をずっと待っていたのだ。
 私は三回、手紙を書きました。
 実に哀しそうに、そしてちょっと恨めしそうに、J君は言うのだった。
 申し訳ないことをした、そう思う裏腹で、季節の移ろわない国の人々の「時の流れ」の停滞加減におどろかされる。
 J君とは三年前にチェンマイで知り合った。彼の職業は坊さんである。
 坊さんの生活というのは、とっても単調だ。酒も飲めないし、デートもできない、ディスコにも映画館にも行けないし、炊事も洗濯もできない。
 坊さんは浮世の物事にはかかわれないのである。俗世を離れてしまった以上、炊事も洗濯も自分ではしないし、してはいけない。車の運転もだめである。
 とはいえここはタイ、まっとうな男子が出家していない、などというのは文字の読み書きができないほどにとんでもないことらしいので、ほとんどの男子が義務教育の延長のように出家する。しかしやっぱりここはタイ、まっとうな男子がそんな生活を好むはずがないので、過半数の男子は「スピード出家」をする。髪を剃って坊主の袈裟をまとい記念撮影をして、出家しましたという「証書」をいただくのである。学生時代の長い休みを利用して三ヶ月コースで出家するというのが人気の「出家パック」だそうだが、社会人になってからでも「出家休暇」はとれるので、学生時代にスポーツや女の子に明け暮れて出家し損ねた男子はこの「出家休暇」を利用して出家するという。
 ちなみにバンコク在住のA君(現日本語ガイド)は、年頃の男の子に禁欲生活はかわいそうだ、という心優しいご両親のはからいで、幼い子供の頃にスピード出家をしたという。そして純愛ばかのUは、超スピード出家の「一週間コース」を選んだという。こうなると、ホントに記念撮影だけしてオシマイである。
 しかし、このたった一枚の「写真」があるかどうかが、タイ男子の一生を左右するのである。俺はそんなたった一枚の写真に人生を左右されるようなちっぽけな人間じゃない、俺は自由だ!と、イキがったところで、そんなことをしたら廃品回収業者にしかなれないのがオチである。芸術家か革命家にでもなるつもりなら、それもまた自由だが、まっとうな社会生活を営みたいと思うのなら、出家はするべき、出家はしないとならない、徴兵以上の強制なのである。
 そうそう、東北の項でも述べたが、「サトリーレック2」の物語中で、ジュン(主役のオカマちゃん)が出家するシーンがある。タイではオカマちゃんの社会的認知度は非常に高く、公共の場所でもオカマちゃんを「女子」として雇っていたりするが、それでも、女の子は出家しなくてもいいのヨ、とは言えないのだな、と、私はちょっとおどろいた。
 なおタイの軍隊には貧窮家庭の男子が志願で大量に入隊するため、一般男子が徴兵で無理やりひっぱられることはあまりないと聞いた。それでもわずかな徴兵枠があり、わずかな徴兵枠は「抽選」で決めるため、抽選会前日はみんなして、どうか当たりませんように・・と、神仏に祈るのだそうだ。
 さて、これほどまでに人気のない、しかしやらざるをえない出家、坊主という職業を、J君は中学を終えた年から今日まで、六年だか七年、続けている。
 それというのも、J君は「タイ人ではない」のである。タイ国籍は持っているが、タイ民族籍は持っていない。タイ人の国籍と言うのは、二つの籍から成り立つ。タイにはいくつかの民族が同居しているため、国民は国籍の他にそれぞれの血統の流れによる民族籍を持っているらしいのだ。たとえばチェンマイで頻繁に世話になったMホテルのボス、ここのボスは誰が見たって一目瞭然で中国人である。Uもここのボスは中国人だと言っていたが、そんなことは言われなくとも見ればわかる、というほどに中国人丸出しなのである。よって、ここのボスの場合「タイ国籍、中華民族籍」を保有することになるのだろう。だから私がたとえ帰化したとしても、私はあくまでタイ国籍を持つ大和民族であり、タイ民族にはなれないのである、たぶん。
 J君の民族籍は少数民族籍、とでも言うのだろうか。彼はカレンという少数山岳民族の出身である。カレンはタイ北部やミャンマーの山地に暮らしていると言われ、ミャンマー側のカレンは民族運動がさかんなことで有名だが、タイ側のカレンはいたって平和なもので、象さんと仲良し、のイメージが強い。象使いの村はほとんどがカレンの村なのだそうだ。といっても、J君の村は象の村ではないのだけど・・。
 J君の生まれ故郷はホットとメーサリアンの中間あたりにあり、チェンマイからバスで4-5時間、そののちはひたすら山道を歩くか、もしくは車を持っている近所の人に事前に連絡をしておいて車に乗せていってもらうのだが、公共の交通ではないので村人以外が利用するのは難しそうだ。乗車賃も決まっておらず、無料のときもあれば、ガソリン代を全額負担することもある。車は百パーセント日本製のピックアップトラックで、往々にして程度は最悪だ。また、バッテリーはテレビや懐中電灯を動かす大切な動力であるし、さらにはそんなものを積んでいると電気系統が動いてしまう(ガソリンを余分に食ってしまう)ので、バッテリーが搭載されていることはまずない。もしバッテリーが搭載されていたら、それはたぶん「バッテリーを充電している」のだろう。ボンネットを開けて、ごちゃごちゃっと線をつないで、エンジンをかけ、それでもダメなら押しがけ。ようやく走り出すと、あっという間に舗装道路が途切れ、オフロードマニアにはたまらない「魅惑のオフロードドライブinタイランド」となる。
 そんな魅惑のオフロードを走ることしばらくで、J君の生まれ故郷だという村に着く。村の中心からJ君の両親や兄弟が暮らすという集落までは約四キロ、ここは徒歩で行くのが普通のようだが、私たちが訪問したときはたまたま車を出してくれるという人物がいて、彼の車(ピックアップ)に乗り換えてJ君の家まで向かった。
 そんなJ君の自宅にも村にも隣の村にも、バスからピックアップに乗り継いで舗装道路が途切れたあたりから全部、電気も水道も来ていない。J君が以前村に電話をしているのを見かけたことがあるが、村には電話線は来ていない。おそらく誰か、携帯を持っている人物がいたのだろう、と、だいぶんあとになってから気がついた。よって、車やバイクのバッテリーは大切な動力なのである。そんな使い方をしていたら、バッテリーの寿命も車の寿命も短くなってしまう!とも思うが、それがないことには今以上に不便な暮らしをせまられることになる。携帯電話があれば電話線のない山岳部でも電話はできるが、電源(カーバッテリー)がないことには携帯電話の充電ができない。
 また、水道もないくせに水源までは近くないようで、こうなると水も貴重な財産である。何十人もが暮らす大所帯なのに、風呂はひとつで、使える水は一日ドラム缶一本だけだ。これは朝起きるとたいがい満タンになっている。おそらく早朝に誰かが川なり何なりまでバケツを片手に水を汲みに行っているのだろう。
 当然ながら、村の生活はほとんどが自給自足で、現金がないと買えないようなものはほとんどなかった。衣類も手作りでつくることのできる昔ながらの民族衣装を着ている人が多く、それだって祭りの日に着るような立派な衣装ではなく、ぼろぼろのよれよれのくたくただ。また、洋服を着ている人はたいがいすごいボロになっている。磨り減って磨り減って、後ろ半分がなくなってしまったサンダルなんてのを履いている人もいる。また、土地が貧しくそれほど多くの作物はとれないのだろう、キャベツの季節にはキャベツしか食えない日が続き、おかげでJ君はキャベツ嫌いになったと言う。
 この村にある文化的なものはただひとつ、「学校」である。もしかしたら病院もあるかもしれないが、それを確認するチャンスはなかった。学校は小学校と中学校が一緒になったもので、隣村の子供たちと一緒に授業を受ける。隣村はメオという山岳民族の村である。やはり子供たちの過半数がメオ古来の民族衣装で登校してくるので、どの子がカレンの子でどの子がメオの子なのかは、山岳民族事情にうとい旅行者にも一目瞭然である。
 しかし、J君の両親をはじめ、ある年齢以上の人物はタイ語がまったくわからないので、学校がこの村にできたのはつい最近のことなのだろう。
 J君はこの村で中学まで通い、中学卒業後も学業を続けるために、町(チェンマイ)に出てきたという。が、現金収入もロクにない貧窮家庭の子が入れるような一般高校はタイにはない。そこでJ君が選んだ道が「出家」だったのである。
 ときに日本の友人に、出家するのって大変なんでしょう、めちゃめちゃお金かかるんじゃないの?と聞かれることがあるが、それは一部の悪徳新宗教の話である。まっとうな寺であれば、信者からのお布施で坊主を全面的に食わせてくれる。出家希望者は丸裸の無一文でやってきてもちゃんと出家させてくれるし、その年頃の子供であれば就学もさせてくれる。ときにJ君が現金を持っているのも見かけるので、多少の小遣いも支給されるのかもしれない。それともあれは、すでに社会に出て平地で就労している親戚からの仕送りなのだろうか。真偽のほどは知らないが、J君は多少の小遣い銭も持っていて、実はけっこうな買い物好きであったりもする。
 まあ、寺の生活というのは前述したように単調で退屈なのだ。若い時分に流行りの服も着れず、デートもできないJ君のささやかな楽しみが買い物であったとしても別におかしなことではないだろう。とはいえ洋服などを買っても着ていくところがないので、J君のお買い物はもっぱら「インテリア関係」である。きれいな風景画のポスターであるとか、変わったデザインの貯金箱であるとか、そういうものを買い求めては居室を飾ることがJ君の楽しみのひとつである。
 そんな低刺激で単調な寺の暮らしをしているJ君の「時の流れ」が停滞して、手紙を三回出しました、と、恨めしそうに言われたとして、それは何の不思議もないことなのである。
 申し訳ないことをしたな。せめてハガキの一枚ぐらい送ってやればよかったな。
 J君の目を見ていると、本気でそう思う。
 しかし旅人というのは身勝手なものであり、祖国に帰るとやはり異国の友が遠くに見えてしまうのである。だいたい、私の日本での生活は非常に刺激的なのだ。昨日のことさえはるか過去に感じてしまうほどに、毎日がめまぐるしく、常に昨日を「過去」として現在から切り離し続けて生きているのだ。
 とはいえ、仕事そのものはいたって単純で単調なのだが・・。
 しかし単純で単調な仕事ってのは誰にでもできるだけに「誰でも雇う」ので、そこでの生活は人間関係がトチ狂っていたりする。にっちもさっちもいかないやつが、右往左往しているのだ。
 こいつらと同レベルだなんて言われてたまるか。
 そんな安っぽい自尊心が昂ぶってならず、誰にでもできる簡単な仕事なんだから適当にノルマをこなせばいいものを、ムキになって全力疾走してしまう。しまいにゃ出勤時間まで一等賞じゃないと気がすまなくなって、始業の30分以上前に現場入りしていたりする。しかしそこではやはり安っぽい自尊心が昂ぶってならない阿呆が35分前に出てきていて、翌日は40分前に出て行くことになる。まるで子供の喧嘩だが、末端の人間ほどくだらない自尊心を抱え込んで生きているものであるし、それさえ失ってしまったらここからも落ちていってしまうのである。そう、この最後の自尊心を失った順に、ワランポーンの駅の外に放り出されて行くのである。
 しかし私はそんな生活があながち嫌いでもなかったりして、日本に帰るとまたその生活に戻っていく。そう、どんなくだらないことであれ、ムキになれることがあるというのは、実はけっこう楽しいものなのである。
 またこうして駆け抜ける日本での数ヶ月が次の旅を食わせる。移ろう季節とともに季節季節のアルバイトを転々とし、春から夏、秋から冬、年越しでテキヤのアルバイトまでやるとは自分でも予想もしていなかったが、晦日から正月まで働いたその甲斐あって、私は今ここにいる。
 だから今、J君を前にして私は本気で申し訳ないと思っているけど、たぶんまた日本に帰ったらそれどころじゃなくなってしまうのだろうなと、心の中で予感してもいる。
 J君、海は行ったことがある?
 ありません。
 じゃあもしお坊さんを辞めたら、海に行こうよ。
 海?どこの海ですか?
 どこでもいいよ、J君の行きたいところに行こう。
 プーケットがいいです。プーケットに行ってみたいです。
 じゃあ、プーケットに行こう。
 本当ですか!?
 ホントホント。
 早く行きたいです!
 そうだね、お坊さんを辞めたらすぐに行こう。お坊さんのままじゃ、せっかくプーケットに行っても女の子とも遊べないし、お酒も呑めないからね。
 はい!!!
 たぶんまたハガキは出せなさそうなので、せめてできそうな約束をすることにする。ハガキ一枚書くよりも、プーケットに行くほうがたやすそうである。どうせまた来年もこの国に来る。だってそのためにハガキを書く時間さえも惜しんで働いているのだから。
 なお、J君が坊主を卒業するのは、早くて二年後の予定だそうだ。就学過程はあと一年で満了するが、そののち一年は寺に残って新参者の面倒を見なければならないのだそうだ。
 タイの寺は、免許という免許を無料ではじから取らせてくれる代わりに簡単には除隊させてくれない自衛隊に少し似ている。まあ、今まで何年も食うものから寝るところまで面倒を見てくれたのだ、一年ぐらい寺に奉仕するのもまた筋なのかも知れない。
 動物園に行きましょう。
 手紙事件で哀しそうにしていたJ君に笑顔が戻り、その日私たちはJ君と連れ立ってドイステープのふもとにあるという、敷地「ばかり」が「無駄」に広い動物園に遊びに行った。チェンマイにもうすぐパンダが来ます、早くパンダを見たいです、と、J君はとてもうれしそうに言っていた。
 そうそう、J君の両親は今、平地に暮らしているという。チェンマイから車で一時間もかからないところにいるらしい。詳しいことはよくわからないのだが、政府の推奨する平地移住計画にでも引っかかったのだろうか。もしくはボランティア団体の仕業か。いくら平地に降りて就業している子供たちからの仕送りがあると言ったって、引越しというのは並大抵のことじゃない。金もかかれば手間もかかる。ましてタイ語もわからないJ君の両親が、自らの意思で進んで平地に下りるとは思えない。役所に届け出る書類の読み書きはおろか、役所の人が言うこと(タイ語)すらわからないんだから・・。
 まあ、山まで電気を引いて水道を引く手間を考えたら、どうにか説得して順次平地に下ろしてしまったほうが早そうではあるが・・。だいたい、電気だの水道だのが完備されたら、今以上に現金が必要になるだろうし、そうなったところで簡単に現金収入は増えないだろうし、となると、やつらにできることはただひとつである。
 山を焼く!!!
 といっても放火じゃない、「焼き畑農業」である。耕地を拡大してより多くの作物をつくって平地に出荷するために、山を焼くのである。
 そんなことをされたらかなわない!早く平地に下ろせ!!!
 タイ政府がそう思ったとしても、まあ不思議じゃないだろう。
 少数民族の独自の生活や文化を守ること、同時に自然環境を保護すること、さらには少数民族がタイ社会で不便なく生きていけるだけの同化をさせること。少数民族については、同時におこなうには難しい問題がまだまだ山積みのようだが、私はボランティアでも政府関係者でもないので、難しいのだろうな、と思うのみである。
 とりあえず、この坊主にプーケット旅行をおごるため、日本に帰って稼ぐ。私にできることはそれぐらいだ。


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