< home2003年目次 > 1_バンコク中央駅 > 2_タイ天国と地獄 > 3_混沌のアジアビーチ > 4_カメ島へ行く > 5_パンガンに挑む > 6_夢の終わり > 7_ハードコンタイ > 8_赤土の大地へ > 9_恋するチェンマイ > 10_山の子 > 11_故郷(ふるさと) > 12_花見タイランド > 13_旅のトラブル > 14_時代 > 15_旅というレース >

夢の終わり


 パンガンに到着して幾日が過ぎた頃だろう、夕闇の空に浮かぶお月様も日に日に肥え太ってきて、まもなくあの狂気の満月が訪れることをしらしめていた。
 13日を過ぎる頃になると、島のタクシーにゆられて湾のバンガローにチェックインする西洋人の数も爆発的に増えてきて、15日には湾のバンガローはほぼ満室になってしまった。入江のバンガローにはまだまだ空室がありそうだったが、あそこが満室になってしまうのも時間の問題だろう。島の人口は確実に増加している。
 初めて歩いたときには西洋人を一人見ただけだった倒木ビーチにも、今は三人ぐらいの西洋人がいる。いつも同じ場所に同じ人がいる。みんな自分なりの「俺ビーチ」を持っているらしい。しかし、便器ビーチの住人はまだ決まらない。
 客層は主に若い西洋人で、一人旅と思える男女の姿も大勢見受けられる。しかしあの悪名高いフルムーンのイメージとは裏腹に、いたって健全な雰囲気の旅行者ばかりである。もちろん、ホアヒンの浜で見かけた数学クラブ所属みたいな男女は皆無だが、しかしボブ・マーレーばりのヒッピー風旅行者も皆無である。
 しかしフルムーンが近づいているのは紛れもない事実であり、その証拠に宿の食堂はいつでも煙い。タバコの煙とは明らかに異なるクサの燃えるにおいが充満している。ここの宿のオヤジが売人を兼業しているらしく、オヤジからクサを買っている西洋人を何人か見かけた。
 それにしても、オヤジもオヤジである。いくらここでは半公認だとはいえ、違法行為は違法行為である。せめて紙で包んで渡すとか、こっそり客室まで持っていくとか、ちょっとは気を使ってもよさそうなものなのに、オヤジはそんなことは知らぬ風で、食堂の真ん中で透明ビニール袋に包んだクサを堂々と受け渡ししている。
 まあ、もしも満月の晩に警察官が豪雨のように降ってきたとしても、島民には関係のないことなのかも知れないが・・。
 何せこの国の政治家ときたら、私は20年この町で市長をやっている、などと威張っているのだから、呆れてものも言えない。20年も権力が固定されていたら、政治なんて腐敗するのに決まっている、癒着と賄賂でしか物事が成り立たなくなってしまうのに決まっている。
 だからきっと何があろうと島民(権力と癒着しているもの)には関係がないのだろう。むしろオヤジとしては、ここでクサが買えますよ、ボクがクサ持ってますよ、欲しい人はボクに言ってちょうだいね、という宣伝広告活動のために、あえて他の泊り客にもわかるようにクサを受け渡ししたいのだろう。
 しかし、そんな不健全な現実とは裏腹に、泊り客は押しなべて明るく人懐こく、実にフレンドリーであった。ドイツ人に続き、「ワタシハ、スウェーデンジンデス」などと日本語で名乗るやつまであらわれて、これまたびっくり。
 しかしやはり不健全な現実も否めない。
 たとえば、浜で一日中ビーチバレーをしているおばかな西洋人の一団がいる。宿の食堂には一晩中サイコロを振っているおばかな西洋人の一団がいる。
 いくら西洋人がおばかだって、大の大人がそんなものにそんな長時間熱中していられるはずがない。おそらくこいつら全員、キマっちゃってんだろう。すごい夢を見てるんだろう。
 ハロゥ。
 部屋でごろごろしていると、先のスウェーデン君がやってきた。
 彼はお喋りというか、さびしがり屋な人らしく、あちこちの小屋をたずねてまわって、あれやこれや、話し込んでいる。彼が特に気に入っているのは、隣の小屋の女の子チームで、彼女たちが在室のときにはたいてい女の子小屋に居座って話し込んでいる。しかし、女の子たちが彼のことをどう思っているのかは、かなり微妙だ。
 というのも、彼女たちがわざわざスウェーデン君を訪ねてくるのを見たことがないのだ。いつもスウェーデン君が彼女たちを訪ねていく。
 日本では北海道に滞在したんだ、真夏だったから寒くはなかった、外国人が全然いないところでどこに行ってもガイジン、ガイジンと言われて照れくさかったよ。
 スウェーデン君はこちらが理解しようとしまいと、勝手にしゃべりまくっている。相手が聞いていようがいまいが、自分の言いたいことさえ言えれば満足らしい。
 さらに、晩飯を食っているとスウェーデン君があらわれて、足を怪我したという。フリスビーに熱中していて木を足に刺したのだと、誰彼かまわずに言って歩いている。
 こういうやつ、世界中にいるんだなあ・・。
 悪い奴じゃないんだろうけど、面倒臭い奴だ。申し訳ないが、私ゃ手前が英語を理解しなくてよかったと思う。そして彼が同胞じゃなくてよかったと思う。
 スウェーデン君はかのドイツ君にも、さっき足を怪我したんだ、もうすぐフルムーンだっていうのについていないよ、と、訴えたが、ドイツ君は冷たくて、早く医者に行ったほうがいい、と、だけ言うと、席を立ってしまった。
 ドイツ君は何だか謎な存在で、ほかの西洋人客と浮かれはしゃいでいるのを見かけたこともないし、女づれなのに、彼女とは部屋を別にとっている。
 席を離れたドイツ君は携帯片手に何やら始め、スウェーデン君が席をはずすのを見計らったようにこちらに戻ってきて、日本の携帯電話は国際電話に対応しているのか、と、そんなようなことをたずねられた。対応している会社や機種もあるが、すべてではない、というような難しいこと、私が言えるはずがないので、わからない、と、言うしかなかった。役立たずで申し訳ない。
 パンガンは美しい島であった。西洋人ヒッピーがこの島とあの満月を欲しがったというのも納得できる、そんな美しい島である。だけど私にはここは「天国」ではなく「夢」に見えていた。今までタイでたくさんの天国を見たけど、この島は天国というよりは夢だった。
 浜に便器が落ちていたり、美しく見える海の底が泥沼だったり、突然ロビンソンクルーソーがいかだに乗ってあらわれちゃったり、満月にあわせて大量の西洋人が押しかけてきて島中がケムリ臭くなってしまったり、そんな奇妙なゆがみ具合も夢っぽい。
 こんな夢のような世界、しらふでだって充分に夢なのに、何で一部の西洋人や日本人は、わざわざドラッグなんてやるんだろう・・。って思っていたけど、この夢をさらにすごいものにしたいんだろうな。もっともっとすごい夢を見たいんだろうな。その気持ちもわからなくはない。
 しかし、パンガンにいる旅行者の全員がフルムーン大好きっ子かというと、そんなこともない。やはり人の好みは千差万別。静かな静かな穴場ビーチを求めてここまで来た人にとっては、やはりフルムーンなんていうのは迷惑なイベントでしかないのだろう。フルムーンが近づくにつれて島の人口は爆発的に増加していったが、同時にフルムーン脱北者もちらほらだが出始めた。
 私たちがチェックアウトした朝にも、二人の西洋人男性が宿を出て行った。
 タクシーは毎日午前十時半に宿に来て港へ行く(それってタクシーなんだろうか・・?)というので、二人の西洋人男性と同じタクシーに乗りあって、港まで続く悪路を走った。
 船は定刻(12時)を少し遅れて、港に到着。パンガンで降りる乗客の顔ぶれは、いずれも若い。ほぼ全員がばか祭り参加者なのだろう、ほぼ全員が、国籍を問わず、地味とも派手ともつかない、「そういう系統(ばか祭り系)」の旅行者であった。宿で見た西洋人にはそれほど強く己を演出しているものはいなかったが、フルムーン前日の港に降り立つ乗客の顔ぶれは、ほぼ全員がニューヒッピー系、とでも言うのだろうか。日本人の若者も多く、というか、めちゃめちゃ多い。1月29日にバンコク国際空港に降りて以来、初めてこんなに大勢の日本人を一ヶ所にまとめて見た。
 類は友を呼ぶというように、あまりに掛け離れた友を持っても楽しくはないのだけど・・。それにしたって、ここまで全員の系統が同じだと、こちらとしては没個性的だなあ、と、思う。
 しかし哀しいかな、この系統の人たちほど、個性って言葉を愛している、人と違うことに生きがいを感じている、という、共通の個性、すなわち没個性を持っていることを、彼らが没個性的であると思っている多くの「一般人」は知っている。
 それにひきかえ、今からパンガンを出ていこうという、脱北組(一般人)の脈絡のないことといったらだ。派手なの、地味なの、若いの、若くないの、インテリっぽいのに、おばかっぽいの、これぞ「個性」である。
 もちろん私と同じ系統の旅行者も大勢いて、彼らは今日も世界のどこかを旅しているだろう、もしくは祖国で旅の資金繰りに明け暮れているかも知れない。だけど私たちが一堂に会することはまずない。私たちはバンコク屈指の安宿街であるというカオサンにもあまり近づかないし、有名な一流ホテルにも近づかない。私たちはいつも一本はずれた路地裏を歩いている。地図を逆読みして、あえて地図に載っていない宿屋にチェックインしてみたり、ガイドブックに載っていない町に降りてみたり、そんなことを繰り返しているのだから、同胞同族に行き会う機会は格段に減ってしまう。
 といっても、別に同胞嫌いというわけでもない。同胞が嫌いなら、とっくに日本人をやめている。それなりの手続きを踏めば、祖国を捨てることも可能なはずだ。私はそれなりに日本っていう国を愛しているし、日本人である自分自身を愛している。ただちょっとだけ、ひねくれているのだ。地図に乗っていない町に降りたら何があるんだろう、パンガン最大のイベント、フルムーンの前日にパンガンを出て行ったらどうなるんだろう、なんてことを考えてしまうのだ。
 きっと私のような旅行者が一堂に会するためのイベントをつくったとしても、たぶん成功しないだろうな。何せみんなで地図を逆読みしているのだから・・。
 うちらが乗る予定のエクスプレスボートとほぼ同時に、フェリーが港にやってきた。このフェリー、去年、うちらをスラタニーからパンガンへ運んでくれた船だ。フェリーだけあって、図体がでかく、乗り心地がよかった記憶がある。
 離岸のさいにちらと見たら、フェリーの土手っ腹に「おおすみ」と、平仮名で書かれていた。去年乗ったとき、何だかジャパネスクな装丁の船だなあ、と、思った。様々な装備品の並び具合とか、天井の高さとか、微妙なあんばいが何だか日本ぽかった。売店の上に「売店」という漢字の看板があったりもした。
 あのフェリー、いつまで日本で活躍していたのだろう。大きさから察するに、長距離航海用ではないだろう。いわゆる「連絡船」か。きっと、しばらく前までは、長崎や瀬戸内の離島住まいの女子中学生なんかを運んでいたのだろうな。
 今、その島には本土までの橋が架かっているのか、それとも新しい連絡船が走っているのか・・。そんなこと、知る由もないが、そんなことを考えていると、何だかロマンチックな気分になる。
 そうそう、パンガンで見かけたショベルカーだか何だか、建設用の大型特殊車両。アームに「(有)松浦工業」と書かれていたっけ。そういうもの、タイにはごろごろあって、しばらく滞在していると気にもならなくなってしまう(日常化してしまう)のだけど、あいつも「松浦工業」の人に見せてやりたいもんだ。
 あんたんちの車、タイの離島でまだまだ活躍していたよ、って、そう言われたら、松浦工業の人、どう思うだろうか。私ならきっとうれしいだろうな。
 船はサムイを経由してスラタニー(陸)へ向かう。スラタニー付近まで来てしまうと、もうあのエメラルドグリーンの海は夢か現か幻か、そこには抹茶色の海が広がっていているだけである。陸が見える頃には海の色が茶色に変わる。しかし、決して水色はきれいとは言えないが、波打ち際きりきりにまでジャングルが押し寄せてきていて、これには圧倒された。「浜」なんて、一ミリもありはしない、海が終わるその「瞬間」から、ジャングルが始まっている。船はマングローブの森を抜けていく。ここはやはり熱帯なのである、ジャングルなのである、夢のようなパンガンと同じ国の中にあるのである。
 スラタニーからバンコクへ向かう寝台車の座席は、どういう運命のいたずらか、今朝パンガンの宿を一緒にチェックアウトしてきた西洋人男性二人組みの隣の座席であった。語学力の問題で、一言も言葉は交わさなかったが、二人も私たちを認識したようで、目が合うと照れ臭そうに笑った。
 また、うちらの向かいの座席の西洋人男性の二人組みは、どうにもうちらのことが気になるらしい。うちらが何かするたびに、興味深げにうちらのことを見る。うちらが一ミリ動くたびに、彼らの視線も一ミリ動く。どうにもこうにも、うちらの挙動が気になって仕方がないらしい。
 たぶん彼らには我々の行動がおかしいのだろう。小さな異民族が謎の言語をあやつって、寝台車の上段にのぼっていったり、のぼっていったと思ったら上段から上体を落として下段を覗き込みながら写真を撮ってみたり・・。そういったすべての行動が小動物的に見えていたのじゃないだろうか。
 ときにタイ人を見ていると、動物園のサル山を連想させられることがある。露店の下着屋で腰にパンツをあてて、真剣に悩んでいる若い女の子。トゥクトゥクやサムローの狭い客席で、器用に身体を丸めて熟睡しているドライバー。そんな、タイ人には当たり前の日常的動作が、外国人の目にはどうにも小動物的に見えるのである。ならば西洋人に目に我々が小動物的に見える、そんなこともまああるだろう。
 しかしこうも凝視されていると、こちらとしても敵の動きが気になって仕方がなくなる。自分もついぞ敵を見てしまう。
 ちなみに現在、敵は二人とも本を読んでいる。会話もなく、黙々と本を読み続けている。一人はハリーポッターを、もう一人は「何たらWHITE MAN」という表題の本を読んでいる。この本、しばらく前に、日本のマスコミで取り上げていた。白系アメリカ人著作の、白系アメリカ人こき下ろし本だと、日本のマスコミは紹介していたっけ。表題には「まぬけなアメリカ白人」というような意味があるという。ようするに、米人版「呉 善花(*1)」著作の「自虐本」ということらしい。
 日本のマスコミはこの本のことを、今、アメリカで大変話題になっている、と言ったけど、私はあまり真に受けなかった。
 おまえ(マスコミ)が勝手に話題にしてるだけだろ・・。
 なんて、うがったことを思いながら、テレビを見ていたっけ。
 しかし今、目の前にその本を持っている人がいる。それもハリポタを真剣に読むような人種が、その本を持っているのだ。
 う〜ん。この本、ホントに売れているのかも知れないな・・。
 寝台車の車窓からは大きな月が見えていた。
 ちなみに私は寝台車っていうのに、生まれてこのかた二度しか乗ったことがない。
 寝台車っていうのに最後に乗ったのは、五〜六年前、二度目に訪問したタイで、バンコクからチェンマイまで、こともあろうに、一等「個室」寝台車で往復した。その前の記憶は、確か小学校の五年生の夏休みで、おやじさんに連れられて、秋田に行った。タイ式に言うところの「二等」、日式なら「B寝台」である。おやじさんが冷凍パイナップルを買ってくれたけど、冷たくて食べ切れなかったことと、一駅ごとにおやじさんが、地震だ、終点だ、と、飛び起きてきたことを、覚えている。
 私にとって寝台車は「夏休みの乗り物」である。寝台車に乗るのは、いつだって「暑いとき」「暑いところ」でだ。
 だけど今、ベッド(上段)から、車内を見回したら、寝台車には夏休みというよりも、収容所、病院、兵舎、って言葉の方が似合うなあ、と感じた。
 そんな寝台車の車両は日立製、1967年製造というプレートがついている。フェリーおおすみ、松浦工業の建設用車両、そして日立の寝台車。この国にはたくさんの「昔の日本」が生きている。
 しかし向かいの座席の二人にとっては、私たちの存在は謎の小動物なのである。この国にたくさんの日本があること、車やカメラじゃなく、古い連絡船や建設用車両があること、彼らにはどうでもいいことなのだろう。
 大きな月を横目に見ながら、私は浅い眠りについた。まだまだ旅は続くのに、タイの夢が終わってしまう、そんな気がしていた。

 


■呉 善花(*1)
 韓国人の執筆家。代表作は「スカートの風」など。詳細は・・。読んでみりゃわかる、ぶったまげるから・・。とりあえず、わたしにはここまで自分の祖国を否定できる、その気持ちが理解できない。

 

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