< home2003年目次 > 1_バンコク中央駅 > 2_タイ天国と地獄 > 3_混沌のアジアビーチ > 4_カメ島へ行く > 5_パンガンに挑む > 6_夢の終わり > 7_ハードコンタイ > 8_赤土の大地へ > 9_恋するチェンマイ > 10_山の子 > 11_故郷(ふるさと) > 12_花見タイランド > 13_旅のトラブル > 14_時代 > 15_旅というレース >

故郷(ふるさと)


 チェンマイには長くいたこともあって馴染みの顔が多い。長くいただけに見所という見所は見尽くしてしまって、いまさら観光客としての仕事は何もないのに等しいのだけど、友人知人の顔を見るためだけに今でも私は訪タイの折にはチェンマイを旅程からはずせないでいる。
 そんなに何度も同じ町に行って、何をするの?
 旅行にあまり興味のない友人にそんなことを言われることもあるけれど、そういう問題ではないのである。たとえば、里帰り。生まれて育って見飽きた町に、多くの人が定期的に訪れるではないか。それは見所があるとかないとか、そういう問題ではないと思うのだ。といって、私はチェンマイを第二の故郷だとまでは言うつもりはないが、でもまあ、それは里帰りに少しばかり似ていると思うのだ。
 むしろ、東京生まれの私には里帰りの心理を理解できない部分がある。私にとって実家というのはいつでも思いついたらすぐに行ける距離にあるものであり、それゆえに実家を遠くしている部分がある。ちなみに私が実家を訪れる頻度はかなり気まぐれで、用があれば毎週のように行くこともあるし、用がなければ五年も六年もご無沙汰してしまう、ようするに、用がない限りは行かないのである。電話をする頻度もあまり高くなく、やはり用がない限りはかけない、というかんじだ。それでも最近は何の気まぐれか母がケータイデビューをし、さらにはメールデビューまでしてしまったので、これも親孝行だと思い、母の「ポエム日記メール」にときどき返事をしてやっているが・・。母はどうやらメールというのは、日記を送るためのものだと思っているらしい。
 だから心のどこかでは故郷を遠くに持つ友人が、毎年のように里帰りをすることについて、金もかかるし手間もかかるし、モッタイナイ、便りがないのは元気な証拠だ、などと思っている部分があったのだけど、チェンマイに定期的に訪問するようになってからは、少しだけだが里帰りの心理がわかるような気がしてきた。
 遠く離れた友人や知人、会いたいと思ってもそうそう簡単に会いに行けるものではない。ならばせめてタイまで行くことがあるのなら、その折には顔を見せたい、顔が見たい。そういう気持ちが、少しだけ、本当に少しだけ、わかるようになった、そんな気がする。
 とはいえ私は所詮旅人なので、いずれチェンマイも過去の町として過ぎていくのだろうけど・・。旅人は「旅」をするのである、旅とは「移動の繰り返し」からなる行為なのである、ひとつところにとどまっていたら、それは旅ではなくなってしまう。
 だから私はチェンマイを第二の故郷であるとまでは言わないし、言えない。
 さて、冒頭にも書いたように、いまさら見所などないのがチェンマイである。私はただ、友人知人の顔を見るためだけにチェンマイに赴く。とはいえ、友人知人はこの土地に根ざして暮らしている人間であるから、この土地に日々の生活を持っている。ゆえに、いつ何時でも会える、というわけじゃない。友人知人たちには、仕事やら学校やら、日々こなさなければならない雑事が山積みであり、ゆえに夜しか会えない、とか、週末しか会えない、といった事情がある。そこで、私はとりあえず彼らとコンタクトだけとって、あとは彼らの都合のいい日時までひたすら「待つ」のである。
 サワッディーカップ!!!
 その日は会いたかった人の一人、先生と会う約束であった。先生というのはタイ語教室の先生である。かつてこの町で私はしばらくタイ語を学んだ、そのときの恩師である。が、残念ながら私のタイ語能力は停滞を極めている。やはり所詮は旅行者なので、旅行会話がどうにかこなせるようになったあたりで、手前の能力に納得してしまったのだろう。
 お久しぶりです、何が食べたいですか、何でもいいですよ、今日はお金がある。
 タイでは誘った人が払うのが常識らしいのだが、念のため支払いの意思があることを事前に伝えると、先生は、君たちこそ何が食べたい?と聞き返し、何でもいいですよ、イタリアンだろうがジャパニーズだろうが、と、さらに高価なものでも問題はないという遠まわしな意思表示。
 タイでは外国料理は信じられないほどに高価である。庶民レベルの食堂では50バーツも払えば腹一杯、少し気張ったところで100もあれば腹一杯のこの国で、ピザ一枚が無名の個人経営レストランで100から、有名チェーン店では200はくだらず、当然ながらピザ一枚で帰る人は少ないと思われるので、あっという間に500バーツぐらい飛んでいってしまう。びっくりである。
 ちなみに500というのは、今回私たちがチェンマイでとった宿の一泊分とほぼ同額である。今まで定宿にしていたMホテルだのPハウスにも訪問したかったのだが、いかんせんもう五度目か六度目、もしかしたら七度目八度目、十度目近いチェンマイ訪問なので、冒頭にも書いたように人に会う以外はすることがないのである。それもみなさんには生活があるので、昼間はほとんど会えない。
 そこで知人の訪問を待つまでの間をどうにか退屈せずに過ごせる環境が整った宿を探したら、ここにたどり着いた。
 ちなみにここの宿、賃料は一泊390-790で、私たちの泊っている部屋は590である。室内は広く清潔、タイ風の渋い目の調度品で統一されていて、湯シャワー、テレビ、エアコン付き、厚手のバスタオルと石鹸と飲料水のサービスがある。テレビは衛星放送も受信できるが、残念ながら西欧言語のみの放送である。すぐ近所に、冷蔵庫と朝食つきで550という宿があり、最初はそこも悪くないと思っていたのだが、「プール」を見てここに決めた。小さなプールだが、タイで見た中では一番清潔なプールでもある。
 プールと気の合う連れさえあれば、日がな一日ただの一歩も外出しなくとも、私はちっとも退屈しないのだ。もちろん海だって退屈しないが、ここは北の町チェンマイなので、そればかりはいくら金を積んでも無理である。一番近い海まで1000キロ近く離れている。
 そのようなわけで、私は今回のチェンマイ滞在をここで過ごすことに決めたのだけど、純愛ばかのUが、高い!モッタイナイ!引っ越せ!と、うるさいのだった。また、このぐらいのクラスの宿になると、セキュリティ面も若干だがしっかりしていることがある。とはいえ若干である、またあたりはずれも激しいのがこの価格帯の宿の特徴で、500もとっておいてこれなの?と、首を傾げたくなる宿も多い。だからここはアタリなのだろう、セキュリティ面はかなりしっかりしているようだ。しかしそれが、Uと私たちの距離を隔てているのも確かなことでもあった。
 というのも、ここの宿は「タクシー乗り入れ厳禁」なのである。一歩たりとも敷地には入れない。宿の前には常時数人のタクシーが待機しているが、彼らは本当に一歩たりとも敷地には入ってこない。宿の人間に用事があるときでも、外で手を振ったりわめいたり、何やらアクションして、どうにか敷地に入らずに自分の存在に気づいてもらおうと必死になっている。
 そんなもん、ガードマンに、だれそれちゃんにこれこれこうと伝言してよ、ちょっとだれそれちゃんを呼んでくれないかな、と言えば済みそうなものなのだが、それが「タイ人」なのか、彼らはただの一歩も敷地には入ってこないし、ガードマンに伝言を頼むこともないようだった。
 そんなわけで、私たちをたずねてタクシーで乗り付けてきたUもまた、門前払いを食らった。そんなこともあってUは、ここの宿はあまりよくない、早くもっと安いところに引っ越そうよ、と再三のようにすすめるのだった。しかしUもまたガードマンに伝言を頼むでもなく、自分の職業はタクシードライバーだけどここには仕事で訪問したわけじゃないんだ、と、説明して門を通してもらうでもなく、宿の前から携帯でフロントに電話をかけて、フロント経由の内線で私たちに電話をかけてきて、今、ホテルの前です、ビールを飲みましょう、と、言い、宿の外で待っているのだった。
 タイ人は哀しいほどに身の程をわきまえている。
 タイ社会の身分制度と、それに対するタイ人の反応について、こう述べた人がいたっけな・・。
 そんなUとは対照的なのが、先生である。先生は堂々と、実に堂々とやってきて、フロント脇の旅行代理店の椅子に座っていたりなんかする。また、プールを覗き込んで、ファラン、ユッユッ!ビキニ、ユッユッ!(西洋人イッパイ!ビキニイッパイ!)だなんて言っていたりもする。そしてまたUとは対照的に、ここの宿をひどく気に入ってるようだった。いつもうちらが寝泊りする宿については、えぇ!?あんなところに泊っているの!?とおどろいていたあの先生が、ここに限っては、ここはきれいだし立派だし、いいホテルだね、これだけのホテルで590は安いよ、と、べた褒めであった。
 そう、500バーツも払えば、こんな贅沢な宿にも泊まれるのだ。しかしそんな大金が日本人の感覚ではピザ「ごとき」で飛んでいってしまうのも、またこの国なのである。
 だから、イタリアンだろうがジャパニーズだろうが、というのは、寿司だろうが焼肉だろうがかまわない、という意味・・のつもりであった。その意思は通じたようで、それはすごいね!と、先生は少し大袈裟におどろいた様子を見せ、それから少し考えて、ようやく、君たちベトナム料理は食べたことはある?と、切り出してきた。
 タイにも遠慮を美徳とする習慣があり、しかしこの遠慮のタイミングや種類が日本とは少し違うので、食事に行く店を決めるときなどは少しわずらわしい。たとえば日本の感覚では、おごってもらう側は「お客様」なのだから、おごってもらう側が自分の希望を言うのはどうということのないことだと思うのだが、タイでは誘われた人(おごってもらう人)は自分の希望を言わないことが思慮深いとでもされているのか、先生はなかなか行きたい場所を言わず、ようようベトナム料理に決まった次第である。これはUも同じで、Uもなかなか行きたい場所を言わない。バンコクの日本語ガイド、A君も同じくである。気にしないのは山岳坊主ぐらいだ。そんなとき、ああJ君は「タイ人じゃない」んだなあと、感じる。彼はすべての感性が、ちょっとばかりタイ民族籍を持つ人とは異なるのだ。
 それにしても、先生夫妻のよく食うこと、と言ったらだ。二人とも小柄なくせに三人前ぐらい平気で食ってしまうんだから、見ているこちらがびっくりである。そういえば先生、ちょっと太ったような気もする・・。まあこの体格でこれだけ食ったら、やっぱり太るだろうな・・。逆に先生夫妻は私たちの箸があまり進まないことに気を使って、君たちも遠慮しないで食べたほうがいい、などと言うのだが、いやその、自分の払いなので別に遠慮はしていない。だいたい私はすでに自分の思う一人前以上を食べている、今本気で腹一杯である。別に遠慮していたり支払いのことを気にしたり、そんなことで箸が止まっているわけではない。
 ちなみにここの食堂はビュッフェ(食べ放題)形式なので、別に支払いのことは問題ではない。それもまた先生が、支払いのことを気にさせなくても済むビュッフェにしようと、気を使ってくれたのだろうが・・。
 もし日本に行くことができたら、私は雪と桜が見たいな。
 雪と桜?それは無理ですよ。
 無理?何で?
 雪は二月、桜は四月です。両方見るのは難しいです。
 え?そうなの?それは知らなかった、残念だな。じゃあ桜が見たいな、桜のほうがいい。
 桜なんて、花鳥風月には縁遠い私にしてみれば「ただの花」である。タイのバナナぐらい、めずらしくも何ともない。しかしタイ人は桜が好きだ。日本に行ったら見てみたいもののひとつに桜がランクインしている。きっとタイ人にとって桜はとっても「日本らしいもの」のひとつなのだろう。タイ人にとっては「ただのタクシー」であるトゥクトゥク(三輪タクシー)が日本人にとっては「タイらしいもの」のひとつであるうに・・。
 ところで君たち、いつ日本に帰るの?
 3月29日です。
 3月29日?じゃあ今年のソンクラーン(*1)はタイですごさいないの?
 ええ、残念ながら。
 でも今年は桜に間に合うね、桜は四月でしょう?
 ええ。
 いいなあ、私も桜を見てみたい。きっととてもきれいなんだろうね。
 そうですね。
 さすがに、桜なんて「ただの花」ですよ、とは言えなかった。
 帰り道、安そうな宿の前を通ったので、ここは安そうですね、と言うと、先生はあきれ返った。
 こんなところ、やめておきなさい!どうせまた窓がないのに決まってる!!!
 「窓がない宿」というのは、チェンマイに来る前に立ち寄ったウドンのネタである。ウドンで、見るからに安そうな旅社を見かけて、ここでいいやとチェックインしたら、何かが足りない・・。何が足りないんだろう・・。と、思ったら、窓枠はあれど「窓ガラス」がなかったのである。今は乾季なので窓ガラスなどなくても大した問題ではないが、雨季の滞在にはすすめられないホテルである。ちなみに一泊140。しかし、それはそれで悪くない宿であった。
 よくない!せっかくいいホテルを見つけたのに!何でまた君たちは、もう!!!
 先生は本当に呆れてものも言えないといった様子であった。
 私には故郷がない。だから私には「故郷に帰る」という言葉の意味がよくわからない。それでもかつては、東京が故郷だもの、とこじつけたりもしたけれど。この年になって思うと、やっぱり私には故郷はないのである。連休のたびに両手いっぱいの土産を抱えて遠い故郷へ向かう新幹線に乗り込む友人の心境が理解できないのである。
 だけどもし私にも故郷があったなら、やはり帰省のときを楽しみに待つのだろうか。遠い故郷に暮らす恩師や友人に会うために、私もまた両手いっぱいの荷物を持って、すし詰めの新幹線に乗るのだろうか・・。
 久しぶりだな、どこに泊まっているんだ?Mホテルか?
 ターペー門のあたりを歩いていると、名も知らないタクシードライバーが声をかけてきた。名前は知らないが顔は知っている。Mホテルに泊っていた頃には毎朝ここを通って、どこに行くんだ?飯食いに行くんだ、と、他愛のない挨拶をした。彼のタクシーに乗ったことはない。乗りたいと言っても、金額を言わないのだ。おまえらは顔見知りだから値段がつけられない、だからお前らの言い値がそのまま定価だ、いくらでもかまわない、と言われてしまう。いくらでもいい、というほど困るものはない。だから、彼のタクシーに乗ったことはない。
 ウェルカム・トゥー・チェンマーイ!
 必ずこの語で迎えてくれるのは、洗濯屋のお母さんだ。そしてやはり、どこに泊まっているの?Mホテル?と聞く。
 今回も長い滞在になるの?何ヶ月いる予定?
 そう言うのは、郵便屋のねえさんで、
 コーヒーはホット?アイス?
 そう言うのは、食堂の女の子。ここのセットメニューにはコーヒーと紅茶の選択肢はあるが、ホットとアイスの選択肢はない。だけどかつて私はここの店で、セットメニューのコーヒーをアイスにしてくれ、と、頼んだことがある。そして私は、ただの一度も紅茶を頼んだことはない。だから彼女は、飲み物はコーヒー?紅茶?とは聞かない。
 誰とも大したことを話すわけではないけれど、この町の人が私の存在を覚えている限り、私は何となくこの町に郷愁みたいなものを感じてしまうのかもしれない。
 チェンマイに少しばかり長くいすぎたようだ。少しばかり顔見知りも増えすぎてしまったようだ。この町に来ると、どうにも感傷的になってしまうことが多い。だけど、もしかしたらこれが「故郷」というものなのだろうか。もしこれが故郷というものの正体ならば、故郷もあながち悪いものじゃないのかも知れない。



■ソンクラーン(*1)
 タイには正月が3回ある。ひとつは日本でもお馴染みの西洋暦の正月(1月1日)、そして中国暦の正月(2月中旬)、それから仏暦の正月(4月中旬)。仏暦の正月をさして「ソンクラーン」といい、この期間中は一年の健康などを祈願して水をかけ合う「水かけ祭り」が開催される。これは近隣の仏教国(カンボジアやラオスなど)でも行われるが、タイのものが一番有名。特に有名なのが、チェンマイとパタヤで、この時期には多くの観光客が内外から水かけにやってくる。



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