< home2003年目次 > 1_バンコク中央駅 > 2_タイ天国と地獄 > 3_混沌のアジアビーチ > 4_カメ島へ行く > 5_パンガンに挑む > 6_夢の終わり > 7_ハードコンタイ > 8_赤土の大地へ > 9_恋するチェンマイ > 10_山の子 > 11_故郷(ふるさと) > 12_花見タイランド > 13_旅のトラブル > 14_時代 > 15_旅というレース >

パンガンに挑む


 前回の満月に懲りているので、今回はきっちり暦を調べてから出てきた。今月(2月)の満月はずばり17日である。そんなわけで、名残惜しいがタオを離れることにする。というのもすでに11日なのだ、急がないとまたもあの忌まわしきおばか祭りが始まってしまう。
 2月11日の12時、定刻どおりに船はトンサラ(パンガン)に到着。やはり沖の色はパンガンの方が美しい。我々が求めていたのはこの海の色だ。
 船を降りると宿屋の客引きだのタクシーの客引きだのがわわわっと寄って来て、ひどくほっとする。客引きが来るってことは「宿がある」って意味だ。去年はこいつらが一人も、ホントにただの一人も来なかったんだから。
 客引きの波をかきわけて、一軒の旅行代理店に入る。去年のばか祭りの日、この店で宿を探してる、と、相談した記憶がある。そのときは何せばか祭りにかぶっていたから、宿などなかった(正確には高額なとこが一軒だけあった)のだが、確か愛想のいい店だった。だからどうせ金を使うならここの代理店で使おう、と、思った。
 そして。出て来た宿はというと・・。
 一泊150の宿と、1000の宿。
 ・・・・・。
 「真ん中」はないのだろうか。
 ちなみに私たちの予算は一泊500なので、「予算内におさまる150」に決定した。ずいぶん見当はずれな「予算内」だが、タオで若干予算オーバーしてるので、これで帳尻が合うだろう。ついでに代理店でホアヒンまでのジョイントチケットを買う。いつもなら帰りの切符は帰る前日か当日に買うのだが、今回はおばか祭りが近いので、もしおばか祭りまでに島を出られなかったらしゃれにならないので、おばか祭りの前日(16日)に島を出て行く船と、陸についてからの寝台車の切符を予約購入することにした。
 宿までは代理店が用意したタクシー(無料)で搬送される。さすが都会、タクシーに「屋根」がある。
 そしてたどりついた宿屋は・・。
 えらい辺鄙なところだった。宿の前の通りに立って見渡せる範囲内にある店は、何と「一軒」、ただの一軒だ。それも宿に隣接する宿屋の売店だ。置いてある商品は、石鹸、シャンプー、蚊取り線香、便所紙、飲料水、といった程度で、土産物はおろか、絵葉書すらない。パンガンの港はけっこうにぎやかであるし、タオのセブンイレブン事件もあったので、何も買ってこなかった。宿があるような場所にならセブンイレブンぐらいはあるだろうと、たかをくくっていた。
 まさかこんなどどどど田舎に連れてこられるなんて・・。
 しかし肝心の宿はそれほど悪くはない、むしろいい感じだ。和風に表現するなら、「安いなりにがんばっている、こじゃれた民宿」、ありがちな言葉でまとめるなら「ランプの宿」風。素朴なタイ風味を思いきり演出している。
 入り口のフロント兼食堂のタイ式高床オープン家屋もいい感じだし、敷地内に川があって細い急づくりの橋を越えないと客室にたどり着けないのもいい感じだ。
 客室はバンガロー形式で、簡素なものだが、タイらしさは充分。木製高床の骨組みに、竹で編んだ壁。小さなテラスにはハンモックも下がっている。
 でも、何てったって、ロケーションがいい!ホントにいい!めちゃめちゃいい!
 どこがどのようにいいのか、私の日本語能力では説明が難しいのだが、穴場的ムード全開ばりばり。日本にあるものにたとえろと言われたら、やっぱり「秘湯、ランプの宿」である。
 大体このきめ細かな真っ白な浜!これは砂じゃない、珊瑚だ!波打ち際には珊瑚のかけらがごろごろしている。
 そんな真っ白な浜には、タイ人の大好きなあのプラスチック椅子がぽつぽつあって、これは何の葉をふいたものだろう、南方戦線から還った兵隊さんの戦争手記なんかを読むと「ニッパヤシで編んだ屋根が云々・・」って言葉が頻繁に出て来るから、これがニッパヤシなのか。南国樹木の葉で編んだ傘が浜に並んでいる。
 海は小さな湾になっていて、波ひとつない。あと数日でばか祭りだっていうのに人影もまばらで、えらく静かだ。
 でも、何かがおかしい・・。
 例えば、海がえらく遠浅だ。一キロ以上沖にいると思われる人物が、膝までしか水に浸かっていない。
 それから、えらく生命体が多い。陸は波打ち際きりきりにまで草木が生えているし、水中もまた波打ち際きりきりにまで水生植物が生えている。魚やカニの出没率もえらく高い。
 そんな生命体多発海を二三メートル沖に進むと。
 ・・・・・。
 海底が泥化していくのがわかった。沖に進むほどぬかるみが大きくなっていって、しかし水深はまったく深くならない。
 どないなってんねんな!?
 大体だ、変な船がわらわらいるのは何でだ?どうしてだ?それって絶対に観光用の船じゃないだろう?てゆうか、さっきからただの一双も観光船と思われる船を見ていないぞ・・。
 それから、さっきからその辺をアミとかモリとか、持ってうろうろしているアジア民族。おまえら、いったい何なんだ???
 アミたって、捕虫網みたいな柄のついたかわいいアミじゃない。大きな「投げ網」だ。てゆうか、モリって何だよ?それって一般日常生活に必要なものなのか?
 ・・・・・。
 ここ、「漁村」なんじゃないの???
 ・・・・・。
 どうやらここの海は「豊かすぎる」らしい。私ゃその筋の専門家じゃないので、詳しいことはわらないのだが、だからこれは憶測だ。
 珊瑚の浜があるってことは、沖には珊瑚礁があるのだろう。珊瑚礁ってのは豊かな海の恵みだ、と、聞いたことがある。魚も棲まぬような貧弱な土壌や水質の海には珊瑚は育たないって、聞いたことがある。だから沖の海底の泥化は水が汚いためじゃなく、豊かなために起こっているんじゃなかろうか。泥化の原因が生活排水や工業廃水なら、たぶん珊瑚は死んでしまう。
 てゆうか!だいたいこんな浅瀬に水草がばんばんに生えてる海なんて、見たことがない!ときどき足に何やらからまって、何だろう、と、思うとワカメだった、ていうのはあるけれど。ワカメをよけながら歩かないと前に進めない、ワカメ畑みたいな海。こんな海、少なくとも私は初めて見た。
 んでもってこれだけの水草が生えていりゃ、沖には枯れ水草が堆積する(泥化して沈殿している)だろう。その泥をふくんだ海水はたぶん豊かだ。そんな豊かな海を、魚介どもが放っておくはずがない。銭のあるところに人が集まるように、我も我もとウオどもがここに集結するのに決まっている。
 さらにこの遠浅すぎる海。魚だらけの海をどこまでも歩いて行けるなら・・。それを人間が放っておくはずがない。大きな船や大掛かりな仕掛けを用意しなくても、晩飯取り放題だ。
 夕方になると近所の奥さん達がぱらぱらと浜にあらわれて、波打ち際の砂を手で掘り始めた。
 タイ人は大人のくせに砂遊びなんかするのか・・。
 違うよソムタムに入れるためのカニを採っているんだよ。
 ・・・・・。
 彼女たちがカニを採っていたのかどうかは知らないが、よく見ると確かにカニだか貝だか、何か飯の種を捕獲しているようだった。大人にまじって、子供たちも小さなカゴを手にさげている。
 波打ち際きりきりまで所狭しと生えるヤシやら何やら、波打ち際きりきりまで所狭しと生えるワカメもどき、膝の深さでも嫌ってほどに採れる魚・・。
 ホントにこの国は豊かだ。んでもって、やっぱりへなちょこだ。こんな豊かな環境にいたら、だれも緊張できっこない。
 夜の浜は明かりもまばらで、音ひとつしない。強いていうなら隣接する宿の食堂にカラオケがあるのか、だれかのがなり声、もとい、歌声だけがひびいている。真っ白な浜を月明かりがまぶしく照り返し、その景色は幻想的ですらあった。浜に面したバンガローにおばかちゃんな白人男がいて、彼は浜でたき火を炊いて、魚を焼いている。ホントにおばかちゃんだ・・。けどそんなたき火の炎すら幻想的であり、まさにここは遠い異国、かつて兵隊さんがたずねた「南方」ってのはこんなところだったんだろうな、と、思わせた。
 そして、変な海の住人たちはみなひとなつこく優しい人であった。某ガイド本で頻繁に使われる「商業化」の文字列だが、まさにここは商業化されていない「穴場」である。しかし「海」ってゆう巨大な落とし「穴」つきの「穴」場なのだけど・・。
 いやはや、まじで今、落とし穴に落ちた気分。
 おばか祭りの雪辱戦に上陸したこの島で、またもかまされた。またしてもこの島に負けた・・。
 しかし!
 次回こそは、勝つ!
 今度は「ハード(砂浜)」って文字列を含む地名のところに宿を取るぞ!
 勝負は来年だ!
 ともあれ、変な海の住人はみなひとなつこく、明るい。部屋にいようが、浜にいようが、食堂にいようが、あれやこれやかまってくれる。
 この集落が観光開発を始めたのはつい最近なのか、もし古いとしてもたぶんあまり流行ってはいないだろう。何しろ海が変なんだから。そのせいか、人々はのんびりおっとりしていて、外国人の訪問を興味深げに待っている、そんな感じだ。まるで忘れられた田舎町のようだ。ていうか、実際に忘れられた田舎町なんだろう。
 ついでに宿泊客までひとなつこくて、「にほん、いま、ちょ〜さむい!」とか言う「ドイツ人」まであらわれた。
 ま、この海じゃあ、商業化(観光化)のしようもないわな・・。やはり商業化される場所にはそれだけの価値もあるのだろう。ここじゃ飯島愛の地引き網部隊ぐらいしか活躍できそうにない。
 しかし何故だろう。私は今、けっこう幸せだ。またしてもパンガンに負けたなーと思う裏腹で、笑いが止まらない。さきからずっと笑いっぱなしである。
 しかし、二連敗というのはさすがにちょっと口惜しい。万歳三唱で胴上げをしてビールかけ、とまではいかなくても、どうにかして一点ぐらいはとりたいものである。
 そんなわけで、パンガンに到着した翌朝、我々は「見た目だけは美しいけれど変な海」に見切りをつけて、「散歩」に出た。旅ではなくて散歩である。
 まずは港に背を向けて海岸線に沿った細道を歩く。「ハードなんたら」まで200メートルという案内板を見つけたので、案内板に従って進む。ハードの訳は「砂浜」である。よって、「ハードなんたら」というのは「なんたらビーチ」という意味である。
 ちなみにこの島で一番人気のビーチはハードリン(リンビーチ)と言って、ここがおばか祭りの開催地でもある。去年の今頃、月の暦を知らなかった私たちは、一番人気のビーチと聞いてまんまとハードリンに上陸してしまった。当然のように浜にあふれかえる西洋人の数に圧倒されて、あえなく撤退することになるのだが・・。
 そんなこともあって今回はハードリンを避けたのだが、その結果としてこんなへっころ谷にたどりついてしまったわけである。地図の通りに進めばおばか祭り、地図を逆読みすれば落とし穴場。なかなか思うようにはいかないものである。
 しかし、一キロ近く歩いても何もない。細道は延々とジャングルの中を続き、こんな細道では毎度のように生命を脅かされる「犬」も出てきやしない。交通量も著しく少なく、たまに来るのはレンタバイクの西洋人とタクシーぐらいだ。この島には本当に「産業」と呼べるものがないのだろう。
 島の人は乗り合いピックアップを「タクシー」と呼ぶ。外国人の手前、そう言った方がわかりやすいと思って、そう言っているだけかも知れないが、実際にはそれらはチャーター性のタクシーではなくて、乗り合いのピックアップ(ソンテウ)である。料金は距離によりけりだが、30バーツからとチャーター性のタクシー並の金額を請求される。しかし港ではすでに客引きや運転手が「ハードリン、B50」と書かれたプレートを手に、「タクシー、トゥ、ハードリン!ワンパーソン、フィフティバーツ!!!」といって集客をしているのだから、これが「定価」なのである。もちろんこれは「外国人料金」なのだけど・・。こんな何の産業もない離島で、島民にまでそんな高額の乗車賃を請求したら、島民の生活は破綻してしまう。
 何もない細道の両脇にはヤッシーだのバナァナァだのがうっそうと茂り、強い日差しがかつかつと照りつけて、気分は幼い昔の夏休み、だった。
 幼いころ、夏休みに山梨や長野の田舎町に連れて行かれて、こんなところを歩いた・・はずはない。山梨に野生ヤッシーなんかあるはずがない。でも何故だろう、この景色に強い郷愁をおぼえるのだ。
 それにしても・・。
 静かすぎるぜ、パンガン・・。
 ここがあのばか祭りの島と同じ島だとはとても思えない・・。
 小一時間「メインロード」を歩いてみたが何もなかったので、宿に戻る。今度は同じ道程を海側から歩いてみることにする。やはり港に背を向けて、海岸線に沿って歩く。
 が・・。
 これまた何もない。
 湾の内側には数件の宿があったけど、湾の外側に出たら、マジで何もなくなってしまった。
 てゆうかこれ、何もないっていう次元を超越している・・。
 土砂崩れがあったのだろう、倒木がごろんごろんしていて、歩きづらいったらない。倒木の間には何故か「便器」まで転がっている。突き抜けるように青い空、砂浜をものともせずに波打ち際の数メートル手前にまでうっそうと茂る南国樹木ども、数え切れない倒木と、何故か便器、そして白い浜の向こうにはエメラルドグリーンの海。そこは「天国と地獄が混在している」ような、世にも不条理な浜だった。
 もし地獄にも楽園ビーチがあるとしたら、きっとそこはこんなところなのだろう。
 数百メートルに及ぶ浜には人影もなく、途中一人の西洋人を見かけただけだった。浅瀬に小舟をいくつか見たけど、誰もいない。それでもしつこく歩き続けていたら・・。
 超穴場バンガローが出現!!!
 何にもない倒木だらけの浜の先に小さな入り江があって、入り江に一軒のバンガローを見た。
 バンガローはうっそうと茂るヤシと「松」に今にも埋もれてしまいそうだった。南洋の海の松、これもまた不条理。
 何だこりゃ、夢かしら・・?
 浜(バンガローの軒先)には女の子が一人いて、彼女は浜に座り込んで小さなイカをさばいていた。
 マジこれ、夢じゃないかしら・・?
 見渡せる範囲内にはほかの宿も店も、何一つない。あまりに孤立している。宿泊客はあまり多くはなさそうだ。ってゆうか、人の気配が全然ない。浜に女の子がいる、それだけだ。
 それでも食堂らしき建物に近づくと、一人の西洋人男性と、バンガローの主人と思われる女性がいて、水を一本買った。
 水を下げて、浜に戻る。やっぱり女の子がイカをさばいているだけだった。
 バンガローの先は岩場になっていて、浜と呼べるものはほとんどないが、あまり深くはないようなので、水の中を歩いて進んでみる。
 岩と言っても侵食が進んでいるのか、丸みを帯びていて、足にささらない。むしろ岩のうえの方が足が砂に潜らなくて歩きやすい。
 あまり沖に進んでしまうとやはり海底が泥化していってしまうのだが、岩が多いためか水はひどく澄んでいて、水面が太陽を浴びてきらきらと輝いて、ひどく美しい。海の深さも適度な遠浅で、水遊びをするのに最適である。湾の内側(宿の前)よりは波もあるが、それだって実に穏やかな波であり、ぼんぼんベッドに乗って浮かんでいたって転覆してしまうこともなさそうである。
 三途の川の向こうに広がるという「お花畑」がもしも海なら、こんな景色なのじゃないかしら・・?
 やっぱりこれは夢じゃないかしら・・?
 てゆうかこのきらきら、てんかん持ちには見せられないな。
 岩と岩の隙間にはこれまた小さな浜があって、その広さは実に畳四枚ないし六枚分という超小型ビーチ。そんな超小型ビーチに、私たちは腰をおろした。ちなみにここまでの距離は宿から海沿いに一キロほど、倒木をまたぎ、便器をまたいで、のんびり歩いて片道20分ほどである。
 連敗が続いたこの島で、おぼろげながら「俺だけ楽園ビーチ」の姿が見えてきた。
 そしてようやく一ポイントをこの島からとった私たちは上機嫌で、それからパンガンを離れる満月前夜まで、ほぼ毎日をこの入江で過ごすことになった。
 朝飯を食い終えたら、ぼんぼんベッドを担いで、倒木をまたぎ、便器をまたぎ、入江に向かう。そして夕方まで、この小さな入江の先にある岩の隙間のミニビーチですごす。腹が減ったり、喉が渇いたりしたら、入江のバンガローに行けばいい。
 初めて入江に来たとき浜でイカをさばいていた女の子は英語が苦手で、西洋人客との応対に苦戦している姿を何度も見かけた。ある日、イカ子にコーヒーをくれと言うと、コーヒーならここにあるから、勝手に飲んでよ、と、インスタントコーヒーのパックを差し出し、湯沸かしポットを指さした。
 あんたたち、どこに泊まっているの?
 湾のバンガローだよ。
 ここまでは歩いて来たの?
 そう、歩いて来た。
 遠いの?
 遠くない。20分ぐらい。
 そこは一泊いくら?
 150。
 ふぅん・・。
 もしもここよりも高いところに泊まっているようなら、うちに移らないか、と、すすめるつもりだったのだろうか。しかし残念ながら湾のバンガローは代理店経由でとってもらったので、事前に五泊分すべてを納金してしまっていて、いまさらチェックアウトとは言い出しづらい雰囲気であった。まあ、金額にすればたいしたことではないのだけど・・。五泊分すべての合計でも2000円ほどだ。
 でも、湾のバンガローも私は嫌いじゃなかった。
 湾のバンガローはちょっとデタラメだったけど、経営者と思われる一族も、従業員と思われる子たちも、みんな明るく人懐こく、それはそれですごしやすい場所であった。ちなみにフルムーン当日を含む前後数日はハイシーズン料金が適用されるのだが、私たちはフルムーン前日にチェックアウトするということで、フルムーン前のハイシーズン料金をまけてもらった。別にまけろなどと言った覚えはないのだが、ハイシーズンの追加料金は請求されなかったから、おそらく勝手に割引になったのだろう。
 ちなみにイカ子のバンガローも一泊150かららしい。イカ子から直接聞いたわけではないが、部屋を探しにきた西洋人旅行者との会話の中で、イカ子が150だと言うのを聞いた。
 あなたたち、明日もここに来る?
 うん、来ると思う。
 じゃあ、また明日会いましょう。
 コーヒーを飲み終えて食堂を出ようとすると、イカ子はそう言って軽く手を振った。イカ子は感じのいい子だった。来年はここに泊まりたいな。そう思って、宿屋の名刺を一枚もらって、食堂を出た。

 それにしても、静かである。我々が見つけたミニビーチは海中を歩かないとたどり着けないということもあって、一日ごろごろしていても十人も人間が通過しない。浜はほとんどないので、通行人は腰下海に浸かって「海中」を歩いてくることがほとんどだ。ときに大岩をよじ登って進んでくる果敢なロッククライマーもいて、これは心臓に悪い。こんなところ、人なんか通れっこないだろうとタカをくくっていた大岩の向こうから人間がやってくるのだ。最初岩肌に人間を見たときはびびった。
 時々沖を小舟が通過する。漁船だとか、漁船だとか、漁船だとか・・。
 観光船は来ないのか!?
 ・・・・・。
 観光船のかわりに、ロビンソンクルーソーが来てしまった。
 ・・・・・。
 ドラム缶で組んだイカダの上に木製の小屋を積んで、こっちに向かって進んでいる。よく見ると小屋の中には家具だの炊事道具だのあって、ギターまである。
 そして、操舵しているのは・・。
 白人!!!
 きっと彼、幼いころに見た冒険ものの映画やマンガの世界を現実のものとして手に入れたかったのだろう。
 こんなおばかな西洋人旅行者に対するご意見は賛否両論である。異国に土足で手前の価値観を持ち込む非常識な連中だとなじる人がいるかと思えば、冒険家で精力的なロマンチストであると絶賛する人もいる。まあ、ことの是非は別にして、西洋人の多く(一部?)がロマンチストな冒険家であることは事実のようである。彼のように子供の頃に見た夢を現実のものとしてかなえてしまう、そんな西洋人を私はこの国でたくさん見た。
 まあ、だからこそあんなばか祭りが現存するのかも知れないが・・。
 よって、彼らの旅行スタイルに対する評価は何とも微妙である。


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