< home2003年目次 > 1_バンコク中央駅 > 2_タイ天国と地獄 > 3_混沌のアジアビーチ > 4_カメ島へ行く > 5_パンガンに挑む > 6_夢の終わり > 7_ハードコンタイ > 8_赤土の大地へ > 9_恋するチェンマイ > 10_山の子 > 11_故郷(ふるさと) > 12_花見タイランド > 13_旅のトラブル > 14_時代 > 15_旅というレース >

ハードコンタイ


 パンガンからバンコクへ戻る途中、駄目押しでチャアムに立ち寄った。チャアムはホアヒンの隣の町で、ホアヒンと同様の都市型リゾート地である。全体の雰囲気はホアヒンに似ているが、ホアヒンに比べると小規模なリゾートで、外国人の訪問はあまり多くない。高齢の西洋人を少し見かける程度である。メインビーチ沿いに道路が一本通っていて、道路の東側は海(浜)、西側がホテルや土産物屋の居並ぶ歓楽地である。
 私たちがチャアムに到着したのは2月17日、この日はタイの祝祭日ということもあって、浜は大繁盛であった。ホアヒンでもお馴染みの「海辺のレストラン」には大勢のタイ人客が来ていて、ごった返している。当然全員が当たり前のように着の身着のままで海にどぼん。人気のアクティビィはここでも「おんま」と「貸し浮き輪」、プラス「貸し自転車」と「バナナボート」。
 貸し自転車というのは、サドルがいくつも搭載された複数人乗りチャリンコのことである。私が見た中ではサドルを五つ搭載した、五人乗りチャリが一番大型であった。これは相当にマヌケである。いい若いもんがこんなものをしゃかしゃかと乗り回しているそのさまは、本当にマヌケである。
 バナナボートというのはジェットスキーなどの小型動力で四ないし五人乗りの細長い舟(バナナボート)を引っ張っていくアクティビィだ。客は細長い舟につかまって、ジェットスキーで海面を引っ張ってもらう。途中急カーブを切ったりというイベントもあって、ようするにお手軽ジェットコースターみたいなものである。
 おんま、貸し浮き輪、貸し自転車、バナナボート、いずれもタイ人にはココロときめくアクティビィらしく、大繁盛である。浜通りを次から次に五人乗りあほチャリがやってきて、沖には次から次にバナナボート、浅瀬では着の身着のまま貸し浮き輪軍団が波にもまれている、それらを左右に見ながらおんまがかっぽれかっぽれ・・。
 だからまあ、なんというか、ここは「ハードコンタイ(タイ人ビーチ)」なのである。ホアヒン同様に海の質はそれほど高くなく、波も高いが、「タイらしい浜」を満喫したいのならうってつけのビーチなのである。
 タイの観光地っていうのは、とかく外国人が多い。まあ、それ(外国人が多いっての)は、この国が観光開発にあげている熱を見れば当然の結果なのだろうけど。それにしたって、どこに行ってもタイ人が少ないのは何故だろう。
 と、私はずっと思っていた。
 パンガンのような一般タイ人には不人気な場所にはタイ人客がいないのは当然としても、多くのタイ人が、是非行ってみたい、すでに行ったことのある人なら、是非もう一度行きたい、というサムイにもタイ人の観光客はそれほど多くはなかった。
 タイ人は一体どこで遊んでいるんだろう・・?
 タイがいくら発展途上の国だと言っても、国民には休暇もあるだろうし、休暇には旅行もするだろう。
 発展途上の国というのは、休みが少ない。休んでいては発展が止まってしまう。日本も発展途上と呼ばれたころは、週休一日が当たり前で、それすらちゃんと休んでいない人が何割もいた。連休はせいぜい三連休あればいいところで、遊ぶ暇などなかった。
 それでもわずかの休みに国民は余暇を楽しんだ。むしろ休みが増えた今よりも「精力的に休んでいた」気がする。
 たまにしかない休みだからこそ、どっか行かなきゃ損だとばかりに、人々はむきになって都心を離れ、また地方の人は都心に向かった。
 そして、のんびりと温泉にでも行って、疲れを癒そう、と、思ったのが、夜明かしで呑んだくれたあげくに、朝から名所旧跡を走り回って、あまりに精力的に休みすぎて、かえって疲れてしまって、やっぱりわが家が一番いいなあ・・と、いう、ギャグのような事実が休みのたびに全国区で展開されていたのだ。
 たぶん、発展途上のこの国の国民にとっても、休暇というのはそういう性質のものだと思うのだが・・。その証拠に、タイ人の旅行はクソ忙しい。タイ人と一緒にどこか行くと、あそこに行きましょう、ここに行きましょう、と、忙しいことこのうえない。見所に行ってもロクに見ずに写真だけ撮って、じゃあ次に行きましょう、と言う。まったく発展途上と呼ばれた頃の日本人そのものである。まったく、くつろがない。
 たとえばプールや海。何をするでもなく浜やプールサイドでくつろいでいる人、というのを、あまり見かけない。貸し浮き輪につかまって本気で遊んでいる人か、見るからにつまらなさそうに木陰でじっといる人しかいないのである。
 しかしタイ人は日本人の方が忙しいと言う。たぶん、そういう「刷り込み」があるのだろう。バブル期やそれ以前の旅行者たちのイメージが強く焼きついているのだろう。また、観光業に従事している人の場合は、年配の旅行者との接触が多いので、それも日本人は忙しい、と言われる原因なのだろう。イケイケドンドンの発展途上ニッポンを生きてきた年寄りたちには、今でも忙しく旅をしている人が大勢いる。何しろ彼ら、汽車の中でさえ、じっとしていない。一駅ごとにホームに下りて写真を撮ったり、いちいち線路脇の畑で野良仕事をしているおやじさんに向かって手を振ってみたり、売り子が来るたびに何かしら買い物をしているのもよく見かけるし、そうやって買い求めた軽食や飲み物をいちいち遠く離れた席のガイドさんやツアー仲間に差し入れに行ったりと、まあ忙しい。また、たまに親孝行だと思って親と一緒にどこか行ったりすると、忙しくて目が回りそうである。
 話が少しそれてしまったが、タイの観光地には外国人が多い。だから私は、タイ人はどこで何をしているんだろう?と疑問に思っていた。いくら観光国でも、やはり外国人よりは国民の方が多いはずだし、国民には休暇もあるだろうし・・と。
 そのなぞが、チャアムに来て解けた。
 いくら休暇もあるだろうと言ったって、大型連休時代はまだまだ先なのである。サムイもプーケットも、決して近くはない。週末に気軽に遊びに行ける距離ではないのである。もちろん飛行機で行ければ数時間で行けないこともないが、やはり庶民の足はバスなのである、汽車なのである。ちなみにバンコクからプーケットまでは片道十時間前後といったところだろうか、サムイはスラタニーもしくはチュンポンまで出て船に乗り継ぐので、さらに遠い。三連休程度の連休では行って帰ったら終わってしまう。
 かつて日本が発展途上と言われた頃もそうだった。北海道や宮崎に行ってみたいと思いながらも、三連休ごときじゃ行って帰るだけになってしまう。そこで庶民は北海道や宮崎に憧れながら、山梨や長野の避暑地へ、また伊豆や千葉の海へ、電車に揺られて遊びに行った。
 チャアムは都市型のリゾートで、バンコクからの日帰りも可能な距離にある。ホアヒンもしかり、パタヤもしかり。三日も休みがあればかなりのんびりとすごすことができるだろう。といっても、この国の国民はちっとものんびりとなんかしていないのだけど、それがこの国の国民性なのか、はたまた発展途上という時代なのか。
 いかにつけ、タイ人のためのタイ人の観光地、というのも存在するのである。そのひとつがここ、チャアムなのだろう。そんなチャアムには、外国人にこびない、タイ人が好きなものだけを並べた観光地が展開されているのである。
 おんま、貸し浮輪、バナナボート、五人乗りあほチャリ。いずれも外国人の多いビーチでは流行らないものの決定版だ。ていうか、そんなださいアクティビィ、パンガンやらタオでは見たことすらない。ビーチでのアクティビィと言えば、ダイビングやらシュノーケリングやら、ビーチサイドのレストランだって、タイ式海の家とはだいぶんと違う。
 だから要するに、タイ人が好きなものだけを並べた、ある意味では「とってもナチュラルなタイの観光地」が、ここにはある。
 当然ながら旅行者物価は安く、ホアヒンよりもさらに手ごろだ。強いて言うなら、安すぎる宿、というのは少ない。
 旅先にまで来て、こんな貧乏くさいところに泊まるの?
 と思われそうな宿は少なく、しかし高すぎない、庶民でも手が届くであろう範囲(300-1000ぐらい)の観光ホテルが通りにはひしめいている。
 しかしそれも国民の休日のみのことである。タイ人客で切り盛りしている町なので、外国人観光客でにぎわうタオやパンガンのようにはいかない、平日ともなるとひどく閑散としてしまう。海辺のレストランも五人乗りあほチャリも、開店休業だ。
 しかし。
 週末や祝祭日にははじける!
 町がばちばちと音を立てて、はじけ飛ぶ!
 レンタチャリ炸裂。次から次に、二人乗り、三人乗り、四人乗り、五人乗りの、あほチャリがやってくる。けっこういい年の男の子のグループまで、五人乗りちゃりでやってくる、ハッキリ言ってマヌケである。しかしみんな、顔が笑っている。とっても幸せそうだ。
 まあ、タイ人とてこれを「おしゃれ」だとは思っていないだろう。その証拠に、新婚旅行で行ってみたい場所の上位に「プーケット」が食い込んでいる。やっぱりタイ人自身も、プーケットの方があか抜けている、しゃれている、と、思っているのだろう。
 しかし、何故チャアムになってしまうのか。何故、おんまとバナナボートになってしまうのか。
 答えは簡単だ。
 それはここが「タイだから」だ。
 多くの日本人は、大洗よりも宮崎や沖縄の方がしゃれていると思っているし、さらにはバリやハワイの方がしゃれている、と、思っている。
 だけど、大洗はハワイにも宮崎にもなれない。多くの人がハワイの方がしゃれていると思っていても、今日も東海村の原発がもくもくと動く茨城の片田舎で、大洗は大洗のまま、生きている。
 それは何故か。
 それはここが「日本だから」だ。
 ガムランの音響くバリの浜辺を思いながら、大洗の浜に立つと、つい我々はイカぽっぽを食べてしまうのだ。ゴムボートなんか借りちゃったりもする。モルジブやらセイシェルやらにあこがれつつも、心のどこかでは、海と言えばあんたカレーに味噌ラーメン、さもなくばおでんだよ!と、思っている。
 これだもの、大洗がハワイになれるはずがない。
 おそらくタイ人もそうなのだろう。プーケットの方がしゃれている、と、思いながらも、つい、海に来るとレンタちゃりを探してしまうのだろう。
 そういや日立の近くの海水浴場に、もんもん背負ったにいさんの一団が遊びに来ていて、彼らゴムボートなんか借りちゃって、水なんかかけあっちゃって、兄貴、やめてくれよぅ!アハハハハ!みたになっていたことがあったな・・。
 チャアムの人々は押しなべて礼儀正しく、しかし人懐こかった。バンコクを境に南方気質と北方気質にわかれるのだろうか、バンコク以南の人々は押しなべて人懐こい。しかしチャアムの人の懐こさはタオやパンガンの人のような、くだけた懐こさ、ではなく、礼儀正しい懐こさである。高級ホテルなんかでお目見えできる種類の懐こさ、とでも言えばいいだろうか。それがここチャアムでは庶民派観光ホテルでも展開されている。
 タイの別名のひとつに「微笑みの国」という名がある。
 しかし残念ながら、タイ人はそれほど愛想よくはない、むしろ愛想が悪い。
 タイの女の子は好きな人にしか優しくありません、日本の女の子は誰にでも優しい、だから私は日本に来たばかりの頃、日本中の女の子が私に惚れているのだと勘違いをしていました。
 以上はタイ人留学生の発言である。日本に暮らす外国人インタビューみたいな本に掲載されていた。
 無愛想なタクシー、やる気のなさそうな売り子、つっけんどんな屋台のおばはん。高級ホテルや高級レストランは別にして、庶民派エリアの人々はえてして愛想が悪い。強いて言うなら、公共の場所は愛想がいい。日本とは逆である。鉄道の車内や郵便局といった場所では、あまり邪険にされた経験はないし、むしろ少しでも困ったことがあるとみんなで助けてくれたりと、とても優しくしてくれることが多い。
 しかし、民間はダメである。
 それが、チャアムに限ってはいいのだ。ここには「微笑みの町」の称号を与えてもいいのじゃないかと思うほどに・・。わずか数日の滞在で、好んで使った食堂のボーイなどが、顔を覚えてくれて、親しげに、しかし適度な距離を保ちつつ声をかけてくれた、なんてことがたびたびのようにあった。
 それがこの町の気質なのだろうか。
 チャアムを旅立つ日の朝方、食堂のにいさんが、あなたたちの注文は覚えました、メニューは必要ないですね、アメリカンブレックファースト二人前、お飲み物はコーヒーですね、と、笑った。
 そして、食事を終えてコーヒーを呑んでいると、食堂のにいさんが、私は世界のお金を集めてるので、日本のお金を今日のレートで換金して欲しい、と、言ってきた。日本には安いお札はないから、コインでよければあげるよ、と、言ったが、にいさんは、それはよくない、ちゃんと換金しよう、今日のレートはいくらですか、と言う。
 100円は35バーツだけど・・。でも最低通過は「これ」なんだ、と、1000円札を見せて、350バーツ、と言うと、にいさんは少し驚いた。
 だからコインならあげてもいい。
 私はそう言ったのだけど、にいさんはよほど日本の「紙幣」が欲しかったのだろう。結局、にいさんは1000円札が欲しい、と、いって、それを350バーツと換金した。
 ありがとう、お礼にコーヒーをおごります。
 にいさんは、金は要らないからと言って、コーヒーを持って来てくれた。
 別れ際、今日、バンコクに行くんだよ、と言うと、にいさんは今車を出すから少し待って、と言い、マイカーでバス停まで送ってくれた。
 ここでバンコク行きのバスに乗れます、コーラののれんのある店がバスの切符を売っています、バンコクは泥棒も多くとても物騒です、くれぐれもお気をつけていい旅をなさってください、それではごきげんよう、幸運を祈ります。
 にいさんに見送られて、我々は今回最後のビーチリゾート、チャアムを離れた。ホアヒン、タオ、パンガン、チャアム、とビーチリゾートをはしごしてバンコクに戻ったのは2月22日のことであった。
 残念ながら、これこそが楽園だというビーチにはめぐり合えなかったが、どこのビーチも離れがたい、いいところであった。
 で。バンコクに戻ると何のイベントなのか、どん、どん、どん、という、大きな物音がして、見るとワランポーン鉄道駅の上に、大きな「花火」が上がっていた。
 きれいだ・・。
 でも、誰も見ちゃいない。
 当たり前だ、そこにはうちらのほかには「シンナー少年」と「やけっぱち路上生活者のおやじ」しかいないんだから・・。花火なんてながめる余裕があったなら、こいつらこんな生活はしていないだろう。


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