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7_ウドンから来た少女

 

 ホアヒンでの滞在日数は、わずか5日。わずか5日の滞在で、出会いなど期待している場合ではないので、わたしはただプールのある宿に泊まって、日がな一日酒を呑んで暮らせればそれでいいとおもっていた。
 そんなわたしの期待を裏切ってあらわれたのが、Mだった。

 別れの日、Mはいまにも泣き出しそうな顔をしてつぶやいた。
 帰っちゃう・・。
 だけどわたしにはMの言いたいことがわからなかった。
 タイ語は度々のように主語を省く、それは日本語に似て便利なのだが、わたしには誰が帰っちゃうのか理解できなかったのである。
 帰っちゃう・・。
 Mがもう一度小さな声でそう言って、わたしはようやく「わたし」が帰っちゃうんだと、気がついた。
 正確には明朝の帰国便なのだが、今日の夜にはバンコクに着きたいので、わたしはMの母親に「明日帰る」と、昨日の今頃言ったのだった。だからMは「ガイジンさん(わたし)」が帰っちゃうと言っているのだった。
 うん、今日、日本に、帰る。
 バイバイ・・。
 Mは相変わらず今にも泣き出しそうな表情でそう言って、わたしはプールサイドからプールの中にいるMの手をとって、Mを軽く抱きしめた。Mはタイ人の親子がよくやるように、軽くほほをなすりつけてきて、小さな声でチョークディーナ(グッドラック)とつぶやいた。
 笑顔でいなくちゃ・・。
 そうおもうけど、涙があふれてきそうでならない。

 ラーコン(さようなら)。

 初めてこの語を使った。
 というのも、サメットの刺青屋が、「サヨウナラ」ってよく聞くけどその意味は何なんだ?と聞いて、わたしはそれは別れの挨拶だけどあまり使わない、と答えたのだった。
 じゃあ、サヨウナラは「長らく会えないとき」に使うのか?
 ラーコン(さようなら)もあまり使わないと聞いたことがあるし、実際に使っている人を見たこともない。そして、すんなりこの返事が返ってきたところから察するに、たぶんラーコンはそういうとき(長らく会えないとき)に使うのだろう。
 この憶測が正しいのかどうかはわからないのだが、ともあれわたしは別れの挨拶に「ラーコン」を選んだ。
 M、ラーコン・ナ、バイバイ・ナ・・。
 バイバーイ、バイバーイ!!!
 振り返ると、いつまでもMが手を振っていた。

 Mは同宿の客で、歳のころは10歳ぐらい。Mにそっくりなタイ人の母親と、Mには似ても似つかぬ西洋人の父親と、その父親によく似た妹と、4人でホアヒンに遊びに来ていた。
 どこから来たの?
 ウドン。
 ウドンって・・。ウドンターニー?
 うん。

 ウドンには一度だけ行ったことがある。小さな町だがこぎれいな町で、確か町外れに大きな公園があって、貸しボートを借りた。町の中心には大きなショッピングセンターがあって、そこで映画を観た。それから最近流行りのドリップコーヒーを飲ませるコーヒーショップで、ごちゃごちゃとよく喋るこうるさい乞食につきまとわれた。
 この乞食、新種の乞食で、ファーストフード店なんかにあらわれるのだと、ずいぶん前にバンコク週報で特集を組んでいた。
 身なりはきれいで、一見するとうらぶれたサラリーマン風。財布を落としてしまったのでバス代を5バーツほど貸してほしい、などと言うのだそうだ。
 日本語ではこれは「寸借詐欺」と言って、競馬場周辺なんかによくあらわれる。やはり口上は「競馬ですった」「財布を落とした」で始まり、「電車賃がない」「バス代がない」と続き、最寄駅までのバス代の500円を貸してくれとか、この時計を2000円で買ってほしい、などと言う。

 Mと出会って、わたしはメーホンソンで会ったAのことを思い出していた。

 Aはメーホンソンの市街地で土産物を売るリス(山岳民族)の子供で、おとなしい妹を連れていて、妹はいつもAの肩に隠れるようにしていた。
 こんにちわ、ガイジンさん。リスの手作りバッグよ、きれいでしょう?見るだけ、見るだけ。
 Aは片言の英語で声をかけてきて、わたしはいらないと断ったのだが、Aは立ち去る気配を見せず、かわりにわたしの手にある「タイ語の会話集」を見せてくれと言う。
 ああ・・。どうぞ・・。
 会話集を差し出すと、Aは丁寧に礼を言い、声に出して本を読み始めた。
 コンニチワ、アリガトウ、サヨウナラ・・。
 ワタシノ、ナマエハ・・。

 わたしの名前は・・Aよ、わたしは・・11歳、わたしは・・物売りなの。

 Aは会話集の例文を指さしながら、自己紹介をした。
 物売り?学校は?
 学校は村にあるよ、わたしは学校が大好き。学校にはたくさん友達がいるんだよ。
 ふぅん・・。恋人はいるの?
 友達はたくさんいるけど、恋人はまだいないよ。
 Aが真顔で答えるのがおかしくて、わたしはつい笑ってしまったのだが、Aは何故わたしが笑っているのか理解できない様子だった。
 おうちからここまで、自転車で来たの?
 ふたりが自転車に乗ってあらわれたので、わたしは素直に自転車で来たのかと思い、そう聞いたのだが、今度はわたしが笑われてしまった。
 まさか!!!わたしの村はとっても遠いの、自転車じゃ行けないよ、バスに乗って行くんだよ!!!
 説明している間もよほどおかしいらしく、Aは笑い転げている。

 まだ就学年齢に達していないのか、Aの妹のTはまったくタイ語がわからず、マムアン(マンゴー/タイ語)をモモスー(マンゴー/リス語)だと言い、Aを困らせた。
 これは平地(タイ)ではマムアンって言うんだよ。
 Aがいくら説明しても、Tは違うもん!だっておねえちゃん、いつもはモモスーって言ってるもん!と言って聞かない。
 だから、モモスーは村の言葉なの。おねえちゃんもお母さんもリスだから、村ではモモスーって言うの。でも平地(タイ)ではモモスーって言わないの。平地の人(タイ人)やガイジンさんはモモスーのことをマムアンって言うの!!!
 違うもん!!!これはモモスーだもん!!!
 早口なうえにリス語なので、何を言っているのかさっぱりわからないのだが、マムアンとモモスーを連呼するふたりの表情と雰囲気から、こんな会話をしているのだろうなと察する。

 結局ふたりとは日が傾くまで、村に帰るバスが出るという時間まで、話し込んでしまった。

 ああ・・。これは余談なのだが・・。
 Aは会話集を貸してくれと言って自己紹介を始めたとき、確かにはっきりと「わたしはタイ人」と名乗ったのだけど、途中公園に遊びに来たタイの子供たちには一切の興味を示さなかった。
 比べてタイの子供たちはいつもの遊び場を外国人と山の子が陣取っているのが気になったようで、しばらく遠巻きにこちらを見ていたのだが、Aは一緒に遊ぼうと声をかけるでもなく、邪魔だからあっちに行ってちょうだいといきがるでもなく、彼らをまるで透明人間のように扱っていた。
 ほんとにAはタイ人なの?タイ国籍を持っている、ただそれだけじゃないの?
 そう問いかけたかったが、わたしにはそんな難しい言葉はわからないし、もしわかったとしても、幼いAがそこまで考えて生きているともおもえなかったので、わたしはただ成り行きを見ていた。

 バイバーイ、バイバーイ!!!

 Aは自転車の背に妹のTを乗せて、日が傾きかけたメーホンソンの町に消えていった。・・とおもったら、10メートル先で西洋人をつかまえたらしい。
 こんにちわ、ガイジンさん、リスの手作りバッグよ、きれいでしょう?安い安い、見るだけ見るだけ。

 Mを見ていると、メーホンソンのAのこと、思い出すのだった。
 まったく境遇も性格も違うこのふたりの姿が、何故かかぶって見えるのだった。
 それはこの「笑顔」のせいだろうか。

 ふたりの境遇の違い、それはもう書くに及ばず、歴然としている。
 Aは「山の子」で、Mは「平地のタイ人」だ。
 その境遇は戦前戦中や終戦直後の日本における日本人と在日朝鮮人ぐらいにくっきりと違う。お互いまったく違うコミュニティーに暮らし、互いの文化のもとでそれぞれに生きている。たまに町に働きに出ても、タイ人コミュニティーに参加することもあまりなく、町に暮らす山出身者同士のコミュニティーで生きている。
 わたしには何のゆえんだかカレン(山岳民族)の友人がいて、彼と知り合って、そのようなことを知ることになった。

 そして、性格の差異。
 Aは人見知りをしないよく喋る活発な少女だったが、Mはひどい人見知りで聞いたこと以上の返事をしないおとなしい少女だった。

 普通子供というのは遠慮がないので、ガイジンさんの間違いでも何でも、がんがん指摘してくる。ちなみにAはそういう子で、わたしがタイ語の語順を間違えたりすると、それは順番が逆だよ!と、そのつど指摘された。
 Aに限らず、子供たちの過半数がそうだ。大人に言わせりゃガイジンさんの言葉なのだ、多少とんちきだって何となく意味がわかればいいとおもうのだが・・。ま、そこをしっかり指摘してくれる子供たちは、ガイジンさんの「いいタイ語教師」でもあるのだけどね。
 しかしMはわたしの間違いを指摘するでもなく、発音が悪く通じなかったとおもわれる語を聞き返してくることもなく、ある意味では大人びていたのかもしれないのだが・・。ともあれMといくら付き合ってもタイ語は覚えられそうになかった。Mはそれぐらいにおとなしい子だった。

 こんなMとAに何か共通点があるとしたら、あの「笑顔」だろう。
 ふたりとも、よく笑う、可愛い少女だった。

 そして、前述したように、ホアヒンでの滞在日数は、わずか5日。わずか5日の滞在で、出会いなど期待している場合ではないので、わたしはただプールのある宿に泊まって、日がな一日酒を呑んで暮らせればそれでいいとおもっていた。
 それだけに、余計にMとの出会いと別れが応えたのかもしれない。

 Mのほかにもわたしたちのことを気にしていたのが、オランダ人母娘。わたしとしてはもうちょっと英語力のありそうな客に声をかけたほうがいいとおもうのだが、オランダ人母娘もまたわたしたちに興味があったようで、頻繁に声をかけてきた。
 ちなみに母85歳、娘62歳。プラチュアップキーリガンに住む兄だか弟をたずねて母を連れてここまで来たと娘は言っていたが、西洋人はまったくタフである。この年頃の日本人が、ガイドも連れずに老齢の母を連れて異国に行こうなどとおもうだろうか。
 あたしは国では教師をやっていたの、もう定年になっちゃったけどね。ダンナはまだ現役で働いてるわ、だからダンナはオランダに置いてきちゃった。
 あなた日本人?どこに住んでるの?東京?東京は大きい町なんでしょう?バンコクみたいなところでしょう?疲れそうね、きっと好きになれないわね。あたしはバンコクも好きじゃないの。あたしはホアヒンの方が好き。ホアヒンに来るのは5度目だけど、ホアヒンはほんとにいいところね、大好きな町よ。
 母はさすがに木陰で休んでいることがおおかったが、娘はよく喋り、よく泳ぐ、タフな西洋人の見本のようなおばちゃんだった。

 そんなオランダ人母娘もまた、旅立ちの日に声をかけてきて、今日帰るんでしょう、気をつけてね、と、言ってくれたが、わたしはいつもどおりに、ありがとう、さようなら、と、答えただけだった。

 何故Mばかりが、いや子供ばかりが、こうも大人をせつなくさせるのか。どうせいつかは「大人」になってしまうくせに・・。

 バイバーイ、バイバーイ!!!

 Mの声を背中に聞きながら、わたしは本気で泣きたかった。

 わたしがMやAと同じ年頃だったころ、父に連れられて富士五湖方面のキャンプ場に遊びに行った。そこでたまたま同宿になったにいさんたち(たぶん大学生)に花火をたくさん買ってもらって、わたしはにいさんたちと一緒に夜遅くまで遊んだ。
 それほど鮮明な記憶ではないのだが、いまでもときどきにいさんたちのことを思い出すことがある。

 Mもいつかこうしてわたしのこと、思い出してくれるのだろうか。
 幼い昔、両親に連れられて海のある町に遊びに行ってガイジンさんと遊んだこと、思い出す日が来るのだろうか。
 また、花火をいっぱい買ってくれたにいさんたちは、わたしのこと、覚えているのだろうか。

 

 ガイジンさんがね とおくに行っちゃうって ほんとかな

 だけどちっちゃいから ガイジンさんのこと わすれてしまうかな

 さびしいな Mちゃん・・・・・

 

 

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