4_セブンイレブンの正体
浜で呑んだくれていると、浜の刺青(ペイント)屋が日本語を教えてくれと、帳面を片手にやって来る。彼はこの浜に着いた日から島を去るその日まで、毎日毎日帳面片手にやってきた。
彼はたいがい昼過ぎ頃にやって来て、2-3時間話し込んで帰って行く。どうも最高に暑い時間帯をここでやり過ごしているようだった。日が傾き始めると、西洋人を探すといって出て行く。
西洋人は刺青が大好きだよ。
ふーん、見せて。
刺青屋のカタログというのだろうか、下絵が入っているファイルを見せてもらう。安くない。
高いね。
ああ、これは西洋人価格だから。
そうなんだ?
うん、西洋人はこの値段。大きな刺青は1500バーツ!!!
1500!?
うん!!!
たっけーえ!!!
高くないよ!!!西洋人は払う!!!
うっそだー!!!
ほんとだよー!!!
そんなことを話しているそばから、いま刺青屋が1500だといったのと同じ図柄の刺青を背に入れた西洋人の女があらわれて、連れの西洋人たちに、見て見て、いま描いてもらったの!カッコいいでしょ?1500バーツだったのよ!などと話していたりして、西洋人はほんとにこれに1500払うらしいことを知る。
たぶんどこかに日本人が大好きなアイテムもあって、それにはかなりふっかけても笑顔で払ってくれるのだろうな。自分もどこかでそのアイテムを高額だともおもわずに笑顔で払ったことがあるのかも知れない。たとえば舟タクとか・・。
スピードボートは高いよ。
浜の刺青屋も言っていた。
スピードボートは1000バーツ、ビッグボートは50バーツ、950も違うんだから、高い。
手前の刺青1500のことは棚に上げて、スピードボートがいかに高いかをトクトクと説かれてしまった。
ちなみにわたしは手前があの舟を1000でチャーターしたとは彼には言っていない。だけど彼はスピードボートは1000だと言ったから、たぶんそれが相場なのだろう。
ビッグボートなら往復しても100バーツだよ、舟タクは高いんだ、今度来るときはビッグボートで来るといい。
ところで、この島の外国人の入場料はいくらなの?
200バーツ。
そしてここで初めてこの島の入場料を知って、1000バーツからふたり分の入場料を引いてみる。
高くないじゃん?
そうおもうあたりが、ボられているのだろうが・・。
高いよ!!!
刺青屋は手前の1500は棚に上げたまま、スピードボートは高い、今度来るときはビッグボートで来るべきだと言いはった。
で、この刺青、ほんとはいくらなの?
700。
・・・・・・・・・・。
これだって外国人価格なのだろう。
わたしが過ごした浜は小さな浜で、バンガローが3軒しかない静かなところだった。都心から近いこともあり週末にはそこそこタイ人の観光客が出たが、平日は西洋人客がちらほらといる程度の、静かな浜だった。
日本人、いないねー・・。
卒業旅行シーズンにかぶって訪問することがおおかったせいか、タイの観光地には日本の若い子(学生)が大勢いる、というイメージがあったのだが。
あれ、ナニジンかな?
ときどき東洋人らしきを見かけるが、日本人とは多少種別の異なる顔立ちをしている。
洗濯物、乾かないでしょう?
ある朝、同宿の東洋人女性が洗濯物をバンガローの外に干しているので声をかけると、彼女は少し戸惑って、そしてつたない「日本語」で答えた。
わたし、は・・。韓国人・・です。
ああ、ごめん・・。日本人だとおもった。えーっと・・。洗濯物、ランドリー・・ノードライでしょ?アイランド、メニーメニーレインだからね。
はい。そう・・です。
韓国人の旅行者と話すのはこれっきりだったが、彼女はつたないながらも日本語を話した。彼女は日本に来たことがあるのだろうか、それとも一般的な韓国人は簡単な日本語会話ができるのだろうか。
ここには韓国人の旅行者がおおいんだ。隣の浜にはもっと大勢の韓国人がいる。
刺青屋にさっき韓国人に会ったというと、刺青屋はここの浜には韓国人がおおいと教えてくれた。
彼も、彼も・・。あの人も、この人も、みんな韓国人だよ。
浜にちらほらいる東洋人をさしながら、刺青屋が言う。
日本人はサイケウにたくさんいる。サイケウはこの島で一番大きなビーチなんだ。バンガローやレストランがたくさんあるにぎやかなところだよ。
舟タクが最初すすめていたナンバーワンビーチのことだろう。
それから、1月と5月は日本人がめちゃくちゃおおいよ。
正月とゴールデンウィークのことだろう。
刺青屋が教えてくれた「韓国人がたくさんいる」という浜に行ってみたら、本当に大勢の韓国人が来ていて、その景色はどこか「日本の海水浴場」に似ていた。やはり根っこは「同じ民族」なんだろうか。
日本の歴史教科書には絶対に掲載されることはないだろうが、世界で出版されている日本旅行ガイドなどの冒頭(日本の概要の頁)にはたいがい「日本人は朝鮮半島から渡来した」と書かれている。
浜を歩いていると、ときどきイルボン(日本)がどうしたこうしたという声が聞こえる。わたしが先まであいつらナニジン?と気にしていたのと同じように、彼らにもわたし(日本人)の存在が気になるようだった。
それにしても異国にまで来て同胞同族ばかりなのもどうしたものか。
と、世界中の旅行者がおもっているのだろう。ときどき、隣の韓国浜に呆れちゃったとおもわれる韓国人の旅行者が韓国人不在の浜を求めて、俺ビーチに侵入してくる。
ずいぶんと前に読んだオランダ人がつくったという日本旅行指南サイトに、こんなことが書かれていた。
どこに行っても西洋人ばかりだとお嘆きの諸君は、ガイド本に掲載されていないホテルや町に行ってみよう。そこには西洋人は全然いないし、素朴な日本の生活や景色があるはずだ。
日本にそんな大勢の、どこに行っても西洋人だらけ!のエリアがあるとは、一般日本人のわたしの意識にはないのだが、行くところに行けば大勢の西洋人がいるらしい。そして彼らもまた、せっかく日本にまで来て西洋人ばかり!!!とおもっているらしい。
人間のおもうことは世界のどこでも大差がない。
ちなみにわたしはこれといって同胞同族が嫌いなわけではないのだが、それでもやはり同じ場所に同一の民族が3割以上いると首を傾げてしまう。
西洋人はどこに行っても確実にいるので気にしないとして、ついでにここはタイなのでタイ人が100パーセントなのも気にしないとして。日本人や韓国人といった外国人が一トヶ所に3割以上存在していると、やはり多少の違和感を覚える。
さて、突然わたくし事で恐縮なのだが、去る8月、わたしは父と別れた。父が他界したのは7年前で、とっくにご本人様はこの世に不在なのだが、遺骨はずっと横浜の実家に鎮座しておられた。
その父が、ついに我が家を出て行った。
8月の終わりの波の高い日、逗子マリーナでクルーザをチャーターして、父は葉山沖から生命の生まれ故郷だという「海」に帰っていった。
クルーザを手配してくれた葬儀屋は舟がマリーナを離れる直前まで、今日は波が高いですから覚悟してくださいねと何度も言い、何なら日を改めてもいいですよ、と言ったけど、家族全員が集まれる日を調整するのは大変なので、無理を言って舟を出してもらった。
あれから1ヶ月、葉山沖から旅立った父がこの浜にたどり着いていたとしても不思議じゃない。
実はわたしはこの浜に着いてからというもの毎日呑みっぱなしで、起きてから寝るまでほぼ休みなくメコンの小瓶を抱えていた。
遅い朝飯が済むと、酒を買いに行き、酒を持って浜に降りる。程よく酒がまわってきたころに刺青屋がやって来て日本語を教えろと言い、そんなもの覚えてどうするんだ?という日本語を教えたり、逆にそんなもの覚えてどうするんだ?というタイ語を教えてもらったり、またちょっとした世間話をしたりして過ごす。
刺青屋はストレートウィスキーは好まないらしく、呑むかと聞いてもいらないと言うので、よくコーラをおごった。タイ人はウィスキーを炭酸やコーラで割る人が多く、コーラにウィスキーを混入して渡すと喜んで受け取ってくれた。
そして刺青屋が、ああ酔っ払った!そろそろ西洋人を探しに行く!また明日!と去って行くころにはたいがいメコンの小瓶は空になっており、次のボトルを買い出しに行く。するとたいがい入れ違いに浜のマッサージ屋がやってきて、2本目が空いたらマッサージをやっていけと言う。実際には夕方までに2本空けてしまうことはあまりなかったのだけど、2本目が空いたらというのは互いの口癖だった。
そして晩飯を食べながら呑み、部屋に戻ってまた呑む。
これほどまでに酒が恋しいのは、父がこの浜に来ているからという気がしてならない。父は大酒呑みで、1日に2本のウィスキーを空けていた。
ちなみにわたし自身はあまり酒を呑まない。呑めないことはないのだが、好んで呑みたいとおもうことは希で、付き合いで呑みに行ってもせいぜい焼酎を少しいただくぐらいだ。
明日バンコクに行くんだ。
そう告げると、刺青屋は、何で?これから週末なのに?と首をかしげた。
明日から週末で大勢の観光客が来て、とても楽しくなるぞ。どうせなら月曜日に島を出て行け。
人が大勢いるのは好きじゃない。
そうか、残念だ。
刺青屋は例にもれず東北出身の出稼ぎで、いまは女房とふたりこの島に出稼ぎに来ていると言った。
女房は隣の浜のバンガローで働いている。俺は昔、シンガポールにも働きに行った。自動車工場の仕事で、給料は1日350バーツぐらいだった。
350???
そうだ、350だ。日本では1日働いたらいくらもらえるんだ?
2000から3000ぐらいじゃない?
それはすごいな。外国人でもそれだけ稼げるのか?
外国人は少し安い、でも1500はもらえるとおもう。
それはいい、俺も日本に行きたい。
もし来たら案内するよ、うちは東京だ。バンコクに似てる、大きな町だよ。
そうか、ぜひ行きたいな。
シンガポールの国民総生産ひとりあたりは日本と大差がない。そんな国で日当350(\1000)とは、人の足元を見るのにもほどがある。賄い付だとしても700(\2000)がボーダーだろう。
別れ間際、カラバウのロゴを肩に入れてもらった。
チェックアウトするのか?
出発の朝、今日の宿賃を払いに来ないことを不審におもったらしいバンガローの従業員に聞かれ、そうだよと答えると、彼は笑って、また戻って来いと言った。
うん、また来年、戻ってくるよ。
オッケー。
海の色はあっという間に薄茶色に変わり、サメットの夢は一瞬で終わった。そして、バーンペーの港で最初に見たものは・・。
セブンイレブン!!!
あの舟タク屋、「港の隣」にあったのである。これではセブンイレブンに行かれたくないわけである。
来年もしまたこの島に来ることがあったら、あの舟タク屋にまた行こう。そして、どこに行くんだ?と聞かれたら、セブンイレブン!と答えてやろう。
舟タク屋はきっと白い歯を見せて笑うだろう。